このように区のなかや町内には、いくつかの段階の区分があるが、もっとも小単位のものとして、かならず組とか隣組とよばれる組織がある。それは役職者を出したりする行政的な役割をもった区分であったり、神仏をまつる役割をもったり、家々がお互いに助け合う役割などをもったりしている。その例を先の田子でみていくと、新田、北村、和出、中村、南はそれぞれ一五~二〇戸ほどの組で、正月十五日のドウロクジンのドンドヤキの単位となっていた。現在はこども会・育成会が主催し、田子で一ヵ所でおこなうようになっているが、かつては新田、北村、和出はそれぞれが単独で、中村と南はいっしょになってドンドヤキをおこなっていた。
また、組は区の役員を選出する単位にもなっているし、さらに葬式や家の普請にはお互いに助け合い、祝言(しゅうげん)のあとには組ザカテとかナビロメ(名披露目)などといって組の各戸の主婦を招待してお祝いがおこなわれている。葬式のときの互助は、葬家がまず組長にその旨を伝え、組長が各戸に知らせるか、葬家が各戸に依頼して集まってもらい、組内の人たちが紙花や旗などの作りものをしたり、土葬の場合は墓穴掘りと棺かつぎ、火葬の場合は火葬の準備から荼毘(だび)までの作業をおこなった。火葬は村に簡単な火葬場があったので、ここに薪を積んで準備し、組の人たちが棺をかついで運んで薪の上にのせ、さらに薪を積んで上から濡らしたネコ(莚(むしろ))をかぶせて火をつけた。僧侶が読経するなかで準備を整えて点火するのである。土葬でも火葬でも、組の人たちは野辺送りに出るのがならわしで、これら以外の、たとえばツギビト(告げ人)といって親戚などに葬式を知らせたり、オトキ(御斎)の準備をすることなどは葬家の親戚の役割となっている。
こどもの祝いや年中行事では、男子の初節供には組の各戸に柏餅を配ったり、亡くなったつぎの盆や年取りにはアラボン(新盆)やアラドシ(新年)といって、組の人たちなどはその家の盆棚や仏壇にお参りに行く。新盆は盆の期間に、新年は年取り(大晦日(おおみそか))の晩に「おさむしゅうございます」といって仏壇に参る。以上のような冠婚葬祭の互助、付き合いのほかに、家の新築のときには、建前に組の人たちが手伝いにいくとともに、組長が組からの祝儀を届ける。