本家・分家のつきあい

165 ~ 167

本家は一般にホンケとよばれているが、古森沢ではショウヤとよぶこともあった。分家はベッケ・イエモチ(エモチ・イモチ)などとよばれる。戸部ではベッケ・ブンケ・シンタク・シンヤなどいくつもの呼称がある。本家・分家の関係はエモチホンケ(家持本家)とかホンケベッケ(本家別家)とよばれる。婚礼のさいに頼むチュウニン(仲人)やオヤブン(親分)を、本家と分家で互いにやりあうことが多い。本家と分家は、冠婚葬祭はもとより、農作業や日常生活においても互いに助け合っていく。今井などでは本家と分家は「行ったり来たり、持ちつ持たれつだ」といい、その親密さがわかる。

 分家が年末・年始・盆に本家に顔を出すことは一般的で、仏壇にお参りすることもある。村の祭りのときに、分家が本家に顔を出すことは当然とされているところも多い。農作業では田植え・脱穀・稲刈りなどにイモチホンケ(本・分家)で互いに手伝い合っておこなわれる。小市(安茂里(あもり))ではエイッコとかアイッコとかいって、本家と分家が行き来するという。とくに本家か分家で病人が出たりして人手が足りないときなどは、お互いに協力し合って作業をおこなう。また、祝儀・不祝儀に顔を出し手伝い合うことは市域全般におこなわれており、法事のときの手伝いや宴席のテイシュヤク(亭主役)をお互いにやり合うことも多い。亭主役は宴席の責任者で、司会、進行をしたりする役である。

 本家にこどもの名付けをしてもらうことも多くみられる。堀之内などでは「名付けは本家」といって、かならず本家に名付けをしてもらっている。とくに本家のオジイサンに付けてもらうが、その人は仲人であることも多い。近年では、自分の家で名前を考えて決めることが多くなったが、その場合にも、本家に行って紙に書いてもらう例がみられる。こうした場合でも「本家で名前を付けてもらった」といい、本家のオジイサンは名付け親だという。

 本家と分家のつきあいは代がかわってもつづくとされている。深いつきあいは初代から三代目ぐらいまでだというところもあるが、一〇代、二〇代とつきあいがつづいているという場合も少なくない。ただ代がかわっていくにつれ、つき合いの度合いが薄れていくことも当然ある。戸部では、分家した代にはささいなことでもかならず本家に顔を出すが、代がかわると自然に遠ざかっていき、ふるまいなどのときだけとなってしまうという。しかし本家・分家の深いつきあいが薄れても、ウチワとかマキとかといった本・分家の集団としてのつきあいはつづくことになるので、遠方への転居など特別なことがない限り本家と分家のつきあいは存続していく。