地域社会における生活において、それを維持し、豊かにするために、人びとは集まって力を合わせようとする。そうした集団としては、近世における行政的組織である五人組や、その流れのなかに位置づけられる隣組などがある。しかし、これらは行政的なものとの結びつきが強く、公的な組織としてほぼ全国的にみられ、だいたい同じような性格をもっている。こうした集団のほかに、気の合ったもの同士が、私的に、任意に作る仲間がある。また、まったく私的に形成されたという集団ではなく、地域社会の組織とかかわるものでありながら、行政組織とはいえないものに、一定年齢ごとに形成される集団や特定の目的によって結成される集団がある。年齢ごとに形成される集団を年齢集団とよぶことがある。
年齢集団には、その年齢によって、こども仲間、若者仲間、壮年仲間、老人仲間などがあり、人びとはその集団につぎつぎと加入していくことになる。もちろんこうした集団のすべてがどこにもきちんと形成されているわけではない。これらの集団のうちのいくつかに重点がかけられていることが多い。またいつも設けられていたり(恒常的)、あるいはなにかことあるたびに臨時に設けられたり(臨時的)する。
こども仲間は、臨時に形成されることが多く、そのために、それがかかわる行事の名前を用いてその集団の名称とすることもある。こども仲間は長野市域全域にわたってその存在が認められたが、これに加入することのできるのは、かつては、男の子だけであるところが多かった。のちには男女を問わず一定年齢になるとみな加入できるようになった。現在ではこどもたちだけで運営する集団ではなく、公民館活動のうちに組み入れられたり、PTAの育成部の監督指導のもとに活動したりすることが多くなっている。
こども仲間のつぎに位置づけられるものとして若者仲間がある。主として成人男子により構成されたもので、長野市域全域にみられる。これは臨時に形成されたこども仲間とは相違し、常設の恒常的な組織であることが多い。それだけに地域社会においてその分担する役割は多く、期待も大きかった。
年齢によって形成される集団のほかに、同じ目的をもつ仲間が集まって作るものもある。それが講(こう)とよばれるものであるが、これには経済的なものを目的として結成される無尽講や、信仰によって結ばれる講などがある。経済的な講は互助的な性格をもち、必要に応じて結成されることが多く、恒常的な性格は弱い。また、地域社会との関係にかならずしも強く規制されるものではなく、個人的な関係によって結成されることも多い。
それにたいして信仰的な講は、地域社会と結びついて恒常的に存在していることが多い。ただその信仰対象が地域内に存在している場合と、比較的遠方に存在している場合とがあり、それによって集団のあり方が異なる。つまり、遠方にある場合は講員全員が参拝することが困難であり、代表者が講員を代表して代参をせざるをえなくなるからである。庚申(こうしん)講は庚申の日に全員が集まってまつることのできるものであり、伊勢講や戸隠講などは代表者が講員を代表して参拝する代参講の代表的なものである。これら信仰的な講は個人を構成員とするのではなく、家を基本とする傾向が強く年齢や性別とかかわりながら、村の社会集団としての役割を果たした。