こども仲間は、その活動する機会ごとに形成される場合が多いので、その折の行事名をもってよばれることが多い。とりわけ、小正月(こしょうがつ)の火祭りを取りしきることが多く、そのときにはドウロクジン・ドウロクジン仲間・ドンドンヤキ仲間などとよばれる。しかし、そのほかにも、たとえば戸部(川中島町)や松代町中町には天神講仲間・甘茶仲間があり、赤柴(松代町豊栄)には七夕仲間などもあった。つまりこどもたちが中心になっておこなう行事が多ければ、それだけ仲間を形成する機会も多くなるのである。南長池(古牧)では、男の子はドンドンヤキ仲間と相撲取り仲間をつくり、女の子はお雛(ひな)遊び仲間とボンガマという仲間をつくったという。
もちろん、こども仲間を示す名称は、こうした行事名を用いるものばかりではなく、少年団とか、こども会とか、児童会とかとよばれることも多かった。柴(松代町)ではこども組・こども連(れん)・こども仲間などともよばれていた。
南俣(みなみまた)(芹田)では健児団とよばれ、恒常的な組織であった。そこではつぎのような団員申合せ規約をもっていた。
団員申合せ規約
一 団旗ハ特別後援者ノ当選者が大切ニ壱ヶ年間保管スベシ
二 団旗ヲ用ユル時ハ大切ニ主催者ノ代表者ガ持参スベシ
三 特別後援者ハ高等科卒業生ノ有志ガ年齢弐拾歳迄専心団ノ為メニ尽力セラルベシ
四 後援者ハ年齢弐拾五歳以上ノ有志ハ(ママ)五ヶ年間良ク団ノ為メニ尽スベシ
五 健児団員ハ尋常科二学年ヨリ入団ノ義務ヲ有シ目上ノ人ノ教ヲ守ッテ区ノ為メニ専心尽スベシ
六 主催者ハ高等科ヨリ共同一致団結シテ能ク団員ヲ愛撫シテ代表者ハ良ク自己ノ任務ヲ全フスベシ
七 団員ハ相互二共助スベシ
八 団員ハ他人二迷惑ヲ掛ケヌ様ニ心掛クルベシ
九 団員ハ会合或ハ出席スベキ通知ヲ受ケタルトキハ必ズ出席ス可キ義務ヲ有ス
一〇団員ハ神社ヲ中心トシテ区ノ利益ヲ図ルベシ
団員ハ右拾ヶ条ヲ固ク遵守スベシ
昭和七年八月拾五日 協定候也、
こうしたこども仲間は、いち早く地域の組織のなかに組み入れられ、位置づけられていたということができる。しかし反面、こどもの仲間はあっても、特別な呼び名をもたないところも多く、地域の生活において、こどもの集団は形成されてもまだ一時的なものである傾向は濃厚であった。