こども仲間の活動内容は、その名称によってほぼ明らかである。もっとも一般的にみられるのが小正月の火祭りにかかわる活動である。また小正月の火祭りが、道祖神祭りと関連するところでは、道祖神の祭りともかかわってくる。広瀬(芋井)における少年団は、一五歳の男の子を親方として、それ以下のこどもたちで構成される。かつては男の子だけで構成されていたという。この少年団は、正月十五日前にはハチジョウ紙でのオンベ作り、厄年(やくどし)調べ、ドンドンヤキの心棒にする松の木を切ってくる心棒引きなどをする。ドンドンヤキ・道祖神祭りの当日である十五日には、ドンドンヤキの松集め、道祖神を背負っての村回りなどをおこなう。おとなが中心になっておこなう道祖神講とともに、こどもたちも一定の役割を果たすのである。
南長池のこども仲間としては、男の子が小正月の火祭りにかかわる活動をするほかに、八月十六日に開かれる村内相撲大会をおこなうときに、相撲取り仲間を作る。女の子は三月三日に当屋(とうや)に集まりヒナアソビをしたが、この仲間がお雛遊び仲間である。また、八月一日から十五日ぐらいのあいだに河原にいって、共同炊事をして食べて遊び、これをボンガマ・カワラメシ(河原飯)といい、このときの仲間をボンガマとよんだという。
天神講も各地にみられ、戸部では一月三日に粉や米をもち寄り、上級生の家が当番になってごちそうをしてくれ、そこでトランプや花合わせなどをして楽しんだという。これは正月に限られるが、松代町中町では字の上手な人の家にいって習字の稽古をした仲間が天神講仲間で、正月には汁粉を出してもらってもてなしを受けたという。
松代町中町には甘茶仲間もある。四月八日に寺へ行ってヤショウマをもらい法話を聞く。この日に寺では、たらいに釈迦如来(しゃかにょらい)像を置き、それに甘茶をかけ、別の釜から甘茶をもらって飲むのである。特別組織立った活動をするわけではないが、このときのこどもたちが甘茶仲間である。
赤柴では七夕のときに河原に小屋を作り、河原に泊まりこんで食事や水遊びをした。このときのこどもたちを七夕仲間とよんでいた。このほか、花立(更北小島田町)や柴では、祭りにこどもたちが神楽(かぐら)を出した。こうしてこどもたちは、行事にかかわって仲間を作り、活動をしたのである。
しかし、こどもの集団は、行事の折に改まった活動をするだけではなく、北屋島(朝陽)・太田(吉田)・古森沢(川中島町)・岡田・戸部などでは、神社・道路・遊び場などの清掃をした。太田・五十平(いかだいら)(七二会)では雪の片付けをした。こうした地域社会にかかわる活動をおこなったところも各地にみられたが、これは恒常的なこどもの組織があっておこなわれる活動であった。こうした集団においては、こどもたちだけで勉強会やお楽しみ会をすることもあった。
こども仲間はこのように、年齢集団として地域社会において一定の役割を果たしつつも、その活動は限定されたものであった。しかし、集団生活を体験することにより、社会性を身につけ、一人前の社会の構成員となるための訓練の場ともなっていたのである。