若者仲間の呼び名

182 ~ 182

若者仲間にたいする名称は、若者を意味するワケショ・ワカイシュ・ワカモノとよぶところが多く、その仲間という意味で南長池・灰原(信更町)・堀之内(更北真島町)などでは、ワケショ仲間・若い衆仲間とよんでいたという。そのほか、長谷(篠ノ井塩崎)では若者組・若い衆組・若者会とよび、赤沼・南長池・中沢(篠ノ井東福寺)などでは若者連・若者中・若連・若連中・若衆連などともよんだという。

 こうした呼び方のほかに青年会とか青年団とかとよぶところも多く、赤沼や松代町中町のように大正時代に青年会から青年団に変わったというところもあるが、多くは昭和十年代に変わっている。これは行政的な指導の結果でもあるが、しかし呼び名はかならずしも統一されず、南長池のように若い衆仲間・若衆連・青年会などという呼び名が並行して用いられていたところもある。

 このほかに西平(にしひら)(浅川)では祭りのときには社交連といったし、戸部では矯風(きょうふう)会、須釜(すがま)(若穂保科)では共和会ともよんだという。また、岡(篠ノ井西寺尾)には明治時代までは至誠会・尚師会とよばれる若者仲間があった。赤柴には農事研究会もあり、若者仲間も目的によって結成されたものもあった。