六〇日に一度回ってくる庚申(こうしん)の日に、講中が集まって祭りをおこなう庚申講は、音読みしてコウシンコウとよばれることよりも、オカノエサマとかオカノエコウとかとよばれることのほうが多い。多少なまってオカノイ・オカンノエ・オカンノイ、あるいはオカノイコウ・オカンノエコウなどとよばれることもある。
この講は市域に広くみられ、信仰のあらわれである石碑も各地にみられる。その講員は希望者によって構成されるところもあるし、桐原では天周院(吉田)の檀家が講員であるなど、宗派の関係によって結ばれるものもある。また、赤沼や北屋島、大安寺(七二会)のように、昔から住みついていた家々で作ったというようなところもある。しかし、かなり一般的にみられるのは全戸加入を原則とするものである。花立では以前から住んでいる家全戸が講員である。転居してきた家の場合にはその希望によって協議することにしていた。
もちろん村に一つしかないということではない。小市では全戸が加入するが、上下に分けて五〇人ぐらいずつ二組あったという。その組み合わせは地域的なものではなく、上石川では縁続きによって講中を作っているという。しかし、今井では同姓の家を避けて、一二戸から一八戸ぐらいで講を作っているという。また、岡田ではウチワ以外の人で講を作るという。