庚申の祭り

198 ~ 199

かつては六〇日に一度ずつおこなわれていた講も、しだいにおこなう回数が少なくなり、一年の始めか年末だけになってしまったところが多い。当屋(とうや)などとよばれる当番の家に、必要な道具をつぎつぎと回し、祭壇に掛け軸を掛け、供物をあげて読経し拝礼をする。その後酒食をいただきながら夜遅くまでさまざまな話に興ずる。かつては徹夜をしたが、しだいにせいぜい夜中の一二時ぐらいまでで散会することが多くなった。それでも「話はオカノイの晩」ということばは各地で聞くことができ、夜遅くまで起きていた印象は強かった。

 栗田では講のときには米を各家々から集め、当番の家では風呂をわかしておいて、来た人から順番に入ったという。日方ではマメエリ(豆煎)を食べてお茶を飲んだが、庚申様はこどもが多いので、豆のように数の多いものがよいのだといわれた。煎り豆は塚本や古森沢や岡田などでも供えたり食べたりした。古森沢ではこの夜のオカノエの御飯は山盛りにした。それで、山盛りの御飯をオカノエノゴハンとよんでいるという。夜中の一二時を過ぎるころにオハギを作った。それを食べて残りはゴク(御供)といって家にもちかえったという。岡田では当番の家をクジドといい、集めた米で夕飯をふるまうが、芋汁でたらふくいただいたものであったという。花立ではクイドといって大食会をしたという。また、大数珠を回して念仏を唱えたあとで、大数珠の引きっくらをしたものであったという。

 このような祭りもしだいにおこなわれなくなった。おこなっているところでも会場を公民館にしたり、お茶を飲みあうだけにしたり、あるいは積立貯金をしておいて、旅行などをするだけになったところもある。


写真1-73 庚申講の日の祭壇(七二会大安寺 平成7年)小山文生提供