元旦

207 ~ 209

一年の始まりである元旦(がんたん)は、年取りの晩からの一連の流れのなかに位置づけられている。年が明けるとすぐに、氏神様へ初詣に行ってきてから年男が若水をくむ。若水は元旦の朝早く、初日の出前の空が白むころに、ふだん飲料水として利用している井戸水や清水、川水を手桶(ておけ)にくんできたものである。岩野(松代町)など千曲川に近い村では、明治時代まではわらじばきで千曲川にくみに行ったという。

 若水くみは、主人や家の跡取り、若者など男がくむというところが多いが、岡では氏神様にお参りに行ってきたあとで女衆が井戸からくんできたという。くむときは、明けの方角を向いて唱え言(ごと)をいいながらくむ。赤柴(あかしば)(松代町豊栄(とよさか))では「よねくも、かねくも」と唱えながら、水道からくんでいる家がある。

 くんできた若水は神棚に供えたり家中の清めの水に使ったりするほか、正月の特別な調理用としても利用されている。フクチャとかワカチャとかとよぶ縁起のよいお茶を沸かし、家族全員がその年の無病息災を願って朝茶を飲むのに使われる。またフクチャは年神棚や仏壇、神棚にも供えられる。岩野(松代町)では若水はフクチャのためにくんでくるもので、それも正月の七日間使えるだけの分量をくんでおくという。


写真1-76 元旦に若水をくむ(若槻田子 平成9年)

 また飯や汁の煮炊きにも使われ、炊きあがった飯やうどんは神棚に供えるというし、柴(松代町)では雑煮(ぞうに)用のつゆにも使う。そのほか顔を洗う水に利用したり、若湯などといって元旦の朝に風呂に入るためにも使われたし、二日の書き初め用の水として使うというところもある。

 フクチャを飲んだあとの元旦の食事は雑煮というところが多いが、年神様などへの供え物には違いがみられる。御飯は年取りの晩に供えてすぐ下ろしてしまうところもあれば、正月三箇日(さんがにち)のあいだは毎朝新しく取り替えて供えたり、年取りの晩に供えた御飯はそのまま十五日ころまで供えておいたりするところもみられる。三水(さみず)(信更町)では御飯を供える日は、年取りの晩、元旦、二日、三日、七日、十一日、十五日、十六日、二十日、三十一日であるといい、何回も供え直しをしている。下ろした御飯はそのつど重箱に集めておき、一月三十一日に雑炊にして食べる。

 また、御飯以外の供え物が日によって違うところもある。日方(ひなた)(小田切塩生)では一日はうどん、二日は雑煮、三日は御飯、七日は七草粥(がゆ)、十一日は餅(もち)、十四日は粥、十五日・十六日・二十日は御飯、三十一日は団子を供えるという。松代町中町では一日朝は雑煮、夜は御飯、二日朝は雑煮、夜はうどん、三日朝は雑煮、夜は御飯、六日朝は御飯、夜はケンチン汁、七日朝は七草粥、十一日朝晩は御飯とごぼうの太煮、十五日朝あずき粥などと、家族と同じ食べものを供えるところもみられる。