成木責めは実のなる樹木の豊作を祈っておこなわれるもので、屋敷まわりの柿や桃・梅・あんずなどの木にたいしておこなわれた。成木責めをする日は大きく二つに分かれ、十五日にしたところと十八日にしたところがみられる。十五日の場合はその日に食べたアズキガユを樹木に塗って歩くもので、十八日におこなう場合は十五日に食べた残りのアズキガユを使った。長谷(篠ノ井塩崎)では昭和初期まで、十五日に煮た粥(かゆ)を残しておいて十八日に屋敷内の柿などの果樹の幹を鎌(かま)でたたき、「ナルカ ナラヌカ タントナレ ナラネトカマデ カッキルゾ」と唱えながら粥を塗りつけた。入組(松代町西条)では昭和三十年ごろまで屋敷内のすべての柿の木に、家族二人がかりで皮を剥(は)いで粥を塗りつけて、「ナルカナラナイカ ナラナイトキッテシマウゾ」などと唱えていた。唱え言は二人の掛けあいでするところが多い。木の幹にはしゃもじやすりこぎなどでこすりつけたが、鉈(なた)や鎌で傷をつけてから粥をこすりつけたりもした。成木責めに使ったアズキガユは、食べると体の骨になるとか害虫にさされないなどといい家族中で食べた。