五月節供

220 ~ 221

六月五日は男節供とか団子節供などといったり単にお節供といったりする。こいのぼりや武者人形を飾ったり、柏餅(かしわもち)を作ったりして祝う。男の子のいる家では五月二十日ころから飾り、六月五日にしまう。男の子が生まれた年に親元や親戚からこいのぼりなどをもらう。ふつうの家で武者人形を飾りはじめたのは戦後になってからのことであるという。

 桐原では、庭先にのぼり一対と鐘馗(しょうき)さん一本、タエとよぶ赤い色のこいのぼり、千成(せんなり)ひょうたんなどをにぎやかに飾った。のぼりやタエは親元からもらった。のぼりの上側にはその家の紋所、下側には女親の家の紋所を入れ、武内宿禰(たけのうちすくね)が応神天皇を抱いて神功(じんぐう)皇后と立っている絵などが描かれたものであった。千成ひょうたんは、長さ一〇尺ほどの槍の先につるされていたという。


写真1-81 こいのぼり
(古牧南高田 平成8年)

 また、この日にはよもぎやしょうぶを屋根の軒端にさしたり戸間口につるしたりする。桜枝町ではよもぎの束に水引をかけてつるし、三水ではよもぎとしょうぶのほかにかやも束ねてさすという。これは、病気よけや厄よけのためであるとされている。

 また、蛇にかみつかれないとか悪い病気にかからないとかといって、しょうぶ湯を立てて入る。古森沢では、花しょうぶとよもぎを風呂に入れてしょうぶ湯を立てるが、このときにしょうぶを頭に巻いて入ると頭が病まないといわれている。これは、後醍醐(ごだいご)天皇が隠岐の島からきて上陸するときに、児島高徳(こじまたかのり)がしょうぶを頭に巻いて隠れていたら敵に見つからずに無事天皇を迎えることができた故事にもとづき、しょうぶを頭に巻くと厄よけになるのだと説明している。

 また岩野ではこの日に男の子たちが、しょうぶを芯(しん)にして藁を巻いた長さ一五センチメートルほどのもので、「五日、六日のしょうぶ」といっては庭先の地面をたたきながら回った。そのとき、庭に槍を立てておいたという。

 栗田ではこの日に、アラヨメ(新嫁)さんが鯛(たい)を一匹土産にもって生家と仲人の家へあいさつにいった。ていねいな仲人の家では、節供呼びといって嫁と舅(しゅうと)を招いてごちそうしてくれたものだというが、今はほとんどおこなわれていない。