七夕飾り

221 ~ 222

八月六日、七日は七夕(たなばた)で、竹に短冊をつけて飾り、庭先に立てる。栗田では裏庭に飾るものだといって、家の裏寄りにある座敷の外縁側の柱に縛りつけて飾っている。また、桐原では星祭りとよび、雨が降ると七夕飾りをぬらさないように軒下に移した。この日に雨が降ると、ひこ星と織姫が会えないとか、織姫が道がぬかって困るとかといわれる。古牧では、七夕に雨が降ると七夕様が会うことができてこどもが生まれ、そのこどもが病気をはやらせるといわれている。短冊には墨で「七夕」とか「天の川」などと書いたり、願いごとなどを書いたりして飾る。そのときに太田(吉田)では、「ネンブリ流しのナス盗み」と書くという。短冊のほか、色紙などを網の形に切り刻んで飾ったり、最近では売っているくす玉などをにぎやかに飾ったりする。

 桜枝町では、八月五日ごろになると善光寺仁王門のところで「ササヤ ササ」といって七夕の竹を売るのを買ってきて使ったが、もっと以前には茂菅(もすげ)まで採りにいったりもした。六日には短冊に字を書いて竹に飾るとともに、紙を切り抜いて作った人形や赤・青・白色の襟をつけた紙の着物を下げる。

 このように、紙で作った人形を竹につるしたり着物を下げたりするのは、善光寺平や善光寺近辺にみられる。日方では昭和四十年ころまで、家のなかに縄を張って着物をつるした。

 七夕様には、縁側に机を出してきゅうりやとうもろこしなどの野菜、果物、赤飯などを供える。このとき、お盆のときのようになすときゅうりに箸をさしてウマを作って供えるところもある。また三水では六日の晩には麺類を、七日朝には赤飯を供え、古森沢では前夜にヤキモチを焼いて供えるという。ヤキモチはこどもの数より一つ余分に作って供えておき、利口になるようにとこどもたちに一つずつ食べさせる、残った一つを、七夕の竹を大根畑に立てるとき畑へ置いてくるという。このヤキモチをからすが食べてしまうと、その年の大根の育ちはよいといわれている。

 六日に飾った七夕飾りは、七日の早朝とか昼すぎに千曲川や裾花川などの大川や近所を流れるセギ(堰)にもっていって流した。そのさいに紙で作った着物の襟だけ残しておいて軒下に下げたり、少しだけ残した短冊を魔よけとして大根畑やお菜畑にさしておいたりもした。