屋敷神

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屋敷内にもまつられる神があり、これは主としてその家だけでまつられ、家を守る神と考えられている。これをヤシキガミ(屋敷神)という。長野市内では、善光寺平を中心に、チンジュ(鎮守)とかウジガミ(氏神)とかというところもみられるが、ほかに神名や神社名でよぶところも多い。また、屋敷神をまつらないところもあり、特定の家にだけまつられているという村もある。その特定の家というのは、本家であったり旧家であったりする。祭神は、稲荷(いなり)神がもっとも多く、神明(しんめい)・皇太(こうたい)神宮などを含めた伊勢社、八幡(はちまん)社、金毘羅(こんぴら)社、天神(てんじん)社などがこれにつぐ。

 屋敷神は、屋敷内にまつるところが多いが、屋敷の外にまつるところもある。屋敷内にまつるときには、まつる方角に注意が払われている。その方角は北東、南西、西北などが多い。また、方角などは決めておらず、屋敷のなかでもっとも祭りに適したところを選んでまつる場合もある。たとえば、戸部(とべ)(川中島町)ではその家の上座(かみざ)と並ぶように庭先にまつり、松代町中町では家を見つめることのできる庭先にまつるという。西平(にしひら)(浅川)のように家の裏にまつるところもある。また、屋敷の外に屋敷神をまつるところもあって、このときには持ち山や田にまつる。長谷(篠ノ井塩崎)では家の東南にあたる持ち山にまつるという。

 屋敷神をまつるようになった理由は、不明のものが多い。伝えられるものでは、先祖をまつるとするものと、託宣や祈願など私的な願いごとにもとづくとするものとの二つに大別され、後者のほうが多い。託宣につながる伝承としては、四ッ屋(川中島町)では夢枕に立ったのでまつったというし、小市や戸部ではたたりを鎮めるためにまつったという。また、中沢では、一年にこどもが二人つづいて亡くなるということがあり、そのため病気をしないで達者ですごせるように願ってまつったという家もある。須釜では、火事にあったあとふたたび火事にならないようにと火災よけとしてまつるようになったという。これらの伝承からもわかるように、屋敷神は主に屋敷の守護と家内安全をかなえてくれる神としてまつられている。

 屋敷神の祭りを改まってすることは少ない。祭日を決めているところもあまりなく、また家ごとに違いがある。正月や盆、村の祭りなどの機会に合わせてまつるところが多い。その祭りは、神主をよんで祝詞(のりと)をあげてもらう家が多い。戸部では、祭日は各家により違うが、神主をよび、切飾りを新しくし、お神酒(みき)と米、魚などを供えて、祝詞をあげてもらい、家内安全や無病息災を祈る。また、赤沼では、昔は神主が祝詞をあげたが、今では家のものが集まってお参りしたあと、お神酒を飲んで昔話をするだけであるという。