日照りが何日もつづき、農作物が枯れてしまうようになると、雨乞(あまご)いがおこなわれた。これに参加するのは村人全部であるのがふつうであるが、その中心になるのは農民や若い衆であることが多かった。なかには村役や代表者だけに任せてしまうところもみられるが、そうしたところでは、単に神事をおこなうだけになってしまったところが多い。雨乞いの方法は一つだけでなく、いくつかの方法があり、それらが並行しておこなわれたり、連続しておこなわれたり、組み合わさっておこなわれたりする。たとえば、古森沢(川中島)では、まず更埴市八幡の武水別(たけみずわけ)神社で祈禱(きとう)してもらったあと、帰ってくると雨乞い地蔵を水に浸す。そしてさらに戸隠神社に参拝してお水をもらってきたのであった。
また、松代町中町では馬喰(ばくろう)町のお観音さんの地蔵を千曲川に運んで「あめふれ たんまりふれ あめふれ たんまりふれ」と歌いながら水に入れた。小市では、二尺五寸ほどの木の権現さんを真っ裸になった男が背に負い、犀川を泳いで往復した。太田では、祭りをしたり、木像を用水池に投げこんだりしても効果のないときには、二升樽(たる)をもって戸隠神社の奥社にお参りにいき、お水をもらってきて、その水を用水池や水田の水口や堰(せぎ)の主なところへまいたという。また、田子(たこ)(若槻)では、日照りがつづいて干ばつになると村中で集まり祈禱をした。若者が重さ一八〇キログラムの地蔵さんをかついで、鐘をたたきながら道中休まず田子神社わきに湧出(ゆうしゅつ)する清水まで運び、水中に移して頭上から水をかけて雨を祈願した。犬石(篠ノ井有旅(うたび))では、地区の寺の薬師さまと地蔵さまを抱き合わせて荒縄で縛り、それを弁天井戸に沈めた。また、東横田(篠ノ井横田)では、昔は村中各戸一人出て千曲川で身を清め、お宮にお灯明を上げ、神主が祝詞(のりと)をあげてから大麦殼の千駄たきをやった。大火をおこして天に上る煙によって雨をよんだという。このように雨乞いの方法は、神社への祈禱、参拝、地蔵などを水に入れる、お水もらいに行く、水源の池に入ったり千駄たきといって大きな火をたいたりするなどの方法がある。
参拝する神社としては、村の氏神などのほかには戸隠神社、武水別神社があり、さらに聖山(ひじりやま)権現、須坂市の米子(よなご)不動尊などがある。これらは多く、村に来る水の水源近くにまつられているものである。