農作物を害虫から守るために、害虫が発生するころにその虫を追い払う祭りがおこなわれる。これを虫送りという。祭りは毎年一定の日を決めておこなうところのほかに、害虫の発生したとき、あるいは害虫の発生の多い年だけにおこなうというところもある。
虫送りの行事の内容はさまざまであるが、まず村境などに御幣や祈禱札などを立てて害虫の侵入を防ごうとするものがあった。北屋島では、戸隠の笹をもらってきて畑の四隅にさせば虫よけになるといわれてやった。岡では、虫よけのために神主さんがお札をもってきて分けてくれた。このお札は縦一〇センチメートル、横五センチメートルぐらいのもので、村はずれの家の木などにこよりで下げたという。お札など立てるときに同時に祈禱がおこなわれることがある。長谷では、五、六月ころ、唐良根古(からねこ)神社に氏子総代が参加し、神主が虫送りの祝詞を奏上する神事をした。
また、害虫を追い払うには、火をたいて村境に送るところもあった。小市では、竹の先に麦わらをつけたたいまつに火をつけ、ナエムシオクリといって、こどもたちが夕飯を食べてから土手伝いに隣の村境のあたりまで送った。これを「稲の虫を送りだす」ともいった。境でも麦わらでたいまつを作り、火をつけて神社から村はずれの田のほうへ送っていった。戸部では、村の中心に近い広い道などに集まり、こどもたちがたいまつをつけて太鼓をたたきながら歌をうたい村はずれまで歩いていった。瀬原田では、七月二十五日の夜「ナエムシオクリヤ」と歌ったという。岡田(篠ノ井)では、七月二十四日から二十五日に虫送りをしたという。たいまつに火をつけ、大勢のこどもが列をつくって隣村の方へ追いだすように飛んでいった。それを何回も繰り返し、ついには向こうの村とけんかになったという。
これらは村はずれに送るものであるが、村の境が川であることも多く、そうしたところでは虫を川に送るとしている。東横田では、八月四日に千曲川の河原に生えている青いあしを切って作った虫かごのなかに害虫を入れ、観音寺の住職に供養してもらったあと、夕方お宮でお祓(はら)いを受け、提灯(ちょうちん)、太鼓、虫かご、たいまつの順で列を作り、村の農道を一巡する。このときこどもたちは「ナエムショオクレ コジキムショオクレ」と唱える。そして最後に千曲川にいたり、虫かごとたいまつを流して害虫を送るのである。行列に実際の害虫を加え、最後にそれを川に流すところは古森沢にもみられる。また、こうした行列にはそのほかいろいろな作り物も加わる。南長池では、藁人形を作り、村の中央に旗を立て行者(ぎょうじゃ)を頼み御祈禱をし、太鼓、かね、拍子木などをたたいて、村中の人が東南方の千曲川に送っていった。