疫病防ぎと送り

243 ~ 244

病気を恐れることはいつの時代にも変わりがない。病気にならないためには、まず病気を村に入れないことであると考えた。そこで、村境で病気を食いとめようとした。それをヤクハライ、ヤクビョウオトシ、ヤクビョウガミノオクリなどとよんだが、灰原ではホウソナガシという呼び方をした。岡田では、七月十七日にお天王さま下ろしといって、お神輿(みこし)を飾りつけて祭りをし、そのお神輿を村中かつぎ回った。このときに南長池や塚本(若穂川田)と同じように、村はずれに注連を張った。それでも入ってくるものがあるので、古森沢では、各家で戸口ににんにくやすべりひゅをぶら下げることがあった。東横田では、村の寺の住職から厄除けのお札をもらい、各戸の入り口につけた。

 しかし、それでも病気が入りこみ、病気になってしまった場合は、それらの病気を村の外に送りだす。送りだす病気でもっとも多いものは疱瘡(ほうそう)(天然痘(てんねんとう))で、太田ではわらで円形に編んで俵の両側にあてるバセ(サンダワラ)に赤い御幣を三本ほど立て、氏神に持参して祈願し、最後にお宮の樹木にゆわえつけた。南長池では、バセにその人の名、神名、御幣を立て、酒と供え物をのせて千曲川に流した。また塚本では、天然痘をはらうためにサンダワラを用いて送りだそうとした。