獅子神楽

247 ~ 248

獅子頭(ししがしら)をご神体として、獅子舞をおこない、悪魔払い・火伏せ・息災延命を祈禱する神楽(かぐら)を獅子神楽といい、獅子舞や獅子神楽は祭りの折の催しものとして一番多くみられる。五穀豊穣(ごこくほうじょう)や悪魔払いをする獅子舞は一人が作り物の獅子頭をかぶり、もう一人がうしろ足の役をつとめるいわゆる二人立ちの形式のものが多い。

 うしろ足をつとめるものはヨタンなどとよぶ大きなほろ布をかぶるが、この布を巻いて、獅子頭をかぶったもの一人が舞うこともある。また、舞うときには、手に鈴や御幣などの採り物をもつこともある。

 桐原牧神社の秋祭りには、一葉連という若い衆が獅子を舞った。西平や北屋島では、伊勢社の秋祭りに獅子舞をやった。このほかにも各地の神社の祭りに獅子舞がおこなわれている。

 瀬原田では、春秋の祭り、地蔵様の祭り、蚕神様の祭りに村の青年が中心になって獅子を舞った。赤沼では、大正十年(一九二一)ころまで田植え踊りとして、太田神社の秋祭りに、上組から田の草獅子とよぶ女獅子、下組と東組からは男獅子が集まって、剣呑み、玉呑みの芸をみせた。

 岩野(松代町)では、会津神社の四月二十九日の春祭りと十月第一日曜日の秋祭りに、北から雄(お)獅子、南から雌(め)獅子が出され、合同して氏子の祭りがおこなわれている。昔は区長など村の役員の家を巡って舞い、吸い物膳(ぜん)が用意されたという。赤柴では、源関(げんせき)神社の四月九日の春秋の祭りに獅子を出す。昭和十五年(一九四〇)まで例祭の折に狂言や踊りもやった。

 権堂の勢(きおい)獅子は、権堂村の若いものが正月や祇園(ぎおん)祭などに、昔から伝わっていた木造の獅子で囃子(はやし)に合わせて舞い、悪魔払いと称して乱暴御免とばかり、他町内まで回っていたと伝えられている。安茂里神社の秋祭りには、境内に設けられた舞台で、赤い着物の振り袖(そで)姿の三番叟(さんばそう)獅子が披露される。つづいて、小路、差出(さしで)、大門各区から三頭の獅子が「長母衣(ほろ)」や「曲獅子」を舞う。舞う場所は、神社の拝殿や庭が多かった。灰原・須釜・堀之内(更北真島町)では、当番や役員の家、辻(つじ)、寺、神社で舞った。


写真1-90 権堂の勢獅子(権堂町 平成8年)

 戸部では、春と秋の村祭りに神楽を出している。養蚕の盛んだった時期には、養蚕神や秋葉社でも舞った。十二(じゅうに)では、中山誉神社の四月と九月の祭りに神楽獅子があった。上石川(篠ノ井石川)では、布制(ふせ)神社の祭りで若衆による大神楽が奉納され、豊作の年には余興として演芸も催された。

 柴では、柴神社の四月十四日・十五日の春祭りと、十月二十日前後の秋祭りに神楽が出される。以前に八幡様(武水別神社)の大頭(だいとう)祭に頼まれて出たこともあった。松代町中町では、岩井神社の春秋の祭りに浦安の舞が奉納されたが、第二次世界大戦後はしていない。七月十三日からの祇園祭に神輿(みこし)と屋台獅子が出された。