神社の祭典で神霊が氏子の地域を渡御(とぎょ)するさいに、移動する神座(かみくら)として山車(だし)が用いられる。
山車を華やかに飾るなど、地域によって演出の創意工夫がされてきている。山車屋台にはサカキヤマ(榊山)・ゴクブネ(御供船)・屋台などがある。
太田では七年に一度の御柱のときサカキヤマを出した。大八車(だいはちぐるま)にもみぬかの入った俵を一五俵積み、その頂上にさかきの枝を立てた。俵は下から五・四・三・二・一と積み重ねて三角形の山にする。この車に綱をつけ村人がひいた。そのさいメンコ・風船などこどもの喜ぶものを入れたボテを積んで道中それをまきながら進んだ。栗田では、遷宮祭(せんぐうさい)に青年会がサカキヤマを出した。
花立では、ゴクブネといって荷車の上に船の形をしたものを組み立て、そこへ紅白の幕を張りめぐらし、荷車に丈夫な綱をつけて村人大勢でひき練りした。そのフネにはかなり大きい柳の枝を立て、そこへ日用雑貨品をつり下げたり、切り餅を小さな俵にいっぱい積んで練りの途中でまいたりした。
岡では、荷車の上に船の形を作り、木を立てておもちゃ、しゃもじなど日用品をその枝につり下げ、総代や村役の人が餅といっしょにそれをまいた。柴では、大八車の上に杉の葉を船の形に飾りつけ、寄付金で日用品を購入してこのフネに積み、練りのあいだに群衆へまいた。
岩野では、昭和初期、八十八夜の蚕神さんの祭りにゴクブネを出した。荷車へ大きな竹で船形を作り、杉の葉で飾った。こどもや若衆がひいて、世話人がフネの上から餅をまいた。戸部では、遷宮のときや神社の普請(ふしん)をした大祭のとき、集落ごとに趣向をこらして一日がかりで村内を練るが、その折にゴクブネを出した。東横田では、神社の屋根の葺き替えのときゴクブネが出た。世話役が紋付き・はかまで、舟の上から切り餅を投げた。四ッ屋では、遷宮祭のとき、大八車を舟に仕立てて引きだす。規模は小さいながら現在もおこなわれている。
赤沼では、獅子屋台といって大きな車の上に屋形を組み立て、これに十数人が乗って周囲で囃(はや)し、中央で芸妓(げいぎ)が手踊りをした。桜枝町では、御祭礼の年番のとき、底抜け屋台を出して八人でかつぎ、決められた道順で加盟町を回る。天武天皇の作り物を飾ったりした。
瀬原田では、獅子頭を入れて運ぶ流れ造りの社殿型の輿(こし)で、屋根棟に御幣を押し立て、一万度の灯籠(とうろう)を立てる。社殿の後部に太鼓をつけた神楽屋台を出した。昔はかついだが、昭和になってからリヤカーにつけて運搬するようになった。鎮守の春秋の祭りや地蔵さん、蚕影(こかげ)さんの祭りに出した。
横田では、神社の祭りのとき、お宮の東・北・西にかけての空堀(からぼり)のなかに人形の飾り物をした。大江山の酒顚童子(しゅてんどうじ)では、源頼光が山伏姿に身をやつして酔った童子を討ち取る場面。富士の巻狩りでは、曽我(そが)十郎・五郎が頼朝の巻狩りの折に父のかたき工藤祐経(くどうすけつね)を討った場面。牛若丸と弁慶では、五条大橋における渡り合いと、勧進帳(かんじんちょう)の安宅(あたか)の関所越えの場面などを作った。