旅芸人

252 ~ 253

正月など決まった季節に、あるいは季節にかかわりなく村や家々に訪れてきた芸人があった。人家の門口や村の辻(つじ)や神社の境内などで芸を演じてみせ、物品や金銭を受けとった。

 主に正月に来たものに、万歳(まんざい)・蒲原(かんばら)獅子・春駒(はるこま)・猿回し・俵ころがしなどがあった。いずれも正月気分をじっくり味わわせてくれた。小市・長谷などに三河(みかわ)万歳が来たし、瀬原田・岡では大夫(たゆう)と才蔵が二人一組でやってきて、一人が鼓を打ち、一人が扇をもってめでたいことばを唱えて鳥目(ちょうもく)(銭)をもらっていった。また、中沢や四ッ屋には、越後の蒲原(かんばら)獅子が来た。親方に連れられた少年二、三人が、小さい獅子頭を頭上にのせて、親方の合図で逆立ちやとんぼ返りをしてみせた。東横田では親分が外で太鼓をたたいて歌い、頭上に獅了頭をつけてくくりはかまをはいた少年二人が家のなかに入って逆立ちをしてみせた。東横田や岡には、春駒がやってきた。馬の頭の張り子の作り物を片手にもち、その首についた長い布を振り、もう一人のひく三味線に合わせて縁起のよい歌をうたってくれた。

 猿回しがやってきたところもある。塚本や赤沼では、猿にきれいな着物を着せ猿に仕込んだ芸をやってみせた。花立では、猿が親分の背中に乗ってきて、太鼓をたたくと家のなかに入って踊った。また、松代町中町・古森沢などには、獅子舞がきて門付けで悪魔払いをやった。吉(若槻)には、俵ころがしがやってきた。鈴のついた小さな俵に綱をつけて、めでたい文句を唱えながら家の中へその俵を転がした。

 季節を限らずに訪れたものに、浪曲師・祭文(さいもん)語り・旅役者などがあった。岩野や赤柴などには、浪曲師がやってきて浪花節(なにわぶし)を聞かせた。堀之内には、祭文よみがきて、ほら貝と錫杖(しゃくじょう)を鳴らしながら口説きや物語を聞かせた。柴・北屋島には旅回りの役者がきて、股旅物などの芝居を演じてみせた。