こどもが生まれると当日または翌日に、ウブタテ・ウブタテイワイ・トシトリ・ボコノトシトリといって、出産を手伝ってくれた近所の人・親類・トリアゲバアサン・嫁の実家・親分・子分・ウチワなどをよんで膳(ぜん)を用意してお祝いをした。膳の献立は赤飯・魚・野菜・ぼた餅(もち)・うるちの粉のコナカキ・ミツオキ(かずのこ・豆・昆布)・お神酒(みき)などであった。よばれた客は米の粉、布、真綿などを御祝儀としてもっていった。堀之内(更北真島町)ではウブタキといって御飯を炊き、近所の人をよんで食べてもらった。このとき、皿に生き石とよばれた黒っぽい石をのせ、魚の切り身、御飯といっしょに膳にのせて床の間のウブガミに供えた。供えた石は道にむかって力いっぱい投げるとこどもがけがをしないといわれた。栗田ではこどもが力強く育つように願ってこどもの膳に石を添えたが、お祝いが終わると井戸のなかにその石を投げ入れた。三水(さみず)(信曳町)では、トシトリといってウチワの女の人を夕飯によんで御飯に鱒(ます)をつけた膳で祝い、産後三日目にはヤキモチをつくり手土産として配った。
出産から三日目・七日目にも人をよんで祝うところが多く、犬石(篠ノ井有旅(うたび))などでは三日目に親分、仲人、近い親類、産婆さんを呼んでミッカヨ(三日夜)のお祝いをし、近所の人は産見舞いとして米の粉を重箱に入れてもってくる。その重箱を返すときにはマメに暮らせるようにといって、豆を一握り入れて返す。また、七日目をシチヤ・ナツケシチヤ・こどもの年取りなどといって、こどもの名前を半紙に書いて披露するところが多いが、この紙を丸めたり焚いたりして粗末にすると、その子が死んでしまうなどと伝えているところもある。
授乳について、最初の一日は砂糖水を飲ませて母親の乳が出るのを待ち、乳が出るようになると二~三時間おきくらいに乳をあたえるなどと産婆さんから指導されることもあった。乳の出ない人は、米の粉をさらに細かくして湯にとき牛乳くらいの濃さにして飲ませたり、役場から配給された粉ミルクを飲ませたりしたが、乳が出ないと姑に小言をいわれることが多かった。