お宮参り

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ヒアケヨビによばれたとき、産婦とこどもは産後初めての外出をする。三水では、男の子は生後二一日目、女の子は一八日目に親分の家へ行き、お祝いとしてぼた餅をもらう。吉(よし)(若槻)では生後二〇日目ごろに仲人、親分の家、嫁の生家にあいさつにいった。

 お宮参りは生後三三日目前後におこなわれることが多いが、五〇日目や一〇〇日目とするところもある。また、男女によってその日は異なることが多い。

 こどもに掛け衣装を着せて姑などが抱き、お神酒をもってお宮参りをする。そして、オセンマイ・サンマイ・オサンゴ・オヒネリなどとよばれる白米を供えるほか、男の子は丈夫に育つように丸い石を供え、女の子は針仕事がうまくいくように針を三方にのせて供えたところもあった。犬石ではひと月ものはお宮にいくものではない、お宮がけがれるといい、出産後一ヵ月を経過しない産婦はお宮にいってはいけなかった。そのため、お宮参りには舅(しゅうと)や姑が行き、孫の成長と健康を願って、先を斜めに切った一五センチメートルほどのうつぎの枝二本にお神酒を注ぎ、神社の拝殿の戸に結びつける。十二(じゅうに)などでも、うつぎの木の育ちがよいので、それにあやかってこどもが丈夫に育つようにと願って供えた。また、南長池などではお宮参りにいく途中にこどもが泣くと縁起がよいといわれているし、堀之内などではこどもを背負って拝殿のほうに尻を向けて「お守りなして」と祈った。


写真1-100 うつぎを供える
(篠ノ井有旅 平成3年)

 お宮参りがすむと、産見舞いに来てくれた人や親類などの家に行き、こどもの顔を見せて祝ってもらった。そのとき、男の子は額に墨でクライボシを書いてもらい、女の子は頰(ほお)紅・おしろいなどをつけてもらうことが多かった。松岡などでは女の子には紅をつけ、男の子には墨でまゆ毛を書いて雄々しく見せた。広瀬などでは、産土神(うぶすながみ)にお神酒を供えてから白米をすりつぶしてつくったオカラコを酒といっしょに盆にのせ、親分やウチワなどにお祝いとして配った。最近では、お宮参りのときに姑などは行かずに、若夫婦だけで行く人や、シチヤとお宮参りをいっしょにしてしまう人もいる。


写真1-99 お宮参り (芹田南俣 昭和54年)