こどもの成長にともなって、初誕生、七五三の祝い、男の一五歳の祝い、女の初潮の祝いなどがあった。
こどもが満一歳を迎えると、初誕生といってこどもの健康と成長を願い餅をついて祝うところが多い。犬石などでは初めての誕生日には、餅をついてあんの入った丸餅を月の数(一二個)つくって重箱に入れ風呂敷に包む。そして、こどもに背負わせて、箕(み)のようにかき寄せるようにといって箕のなかに立たせた。なかには、ジョウベイシのように丈夫になるようにといって、土間にあるわらたたきをするジョウベイシの上にのせた箕にこどもを立たせたというところもあった。
生後初めての節供を初節供(はつぜっく)といい、祝いがおこなわれた。五月節供は、男の子のお祝いで母の生家や親類から武者人形やこいのぼりなどが贈られる。戦時中には兵隊のかっこうをした人形が贈られたこともあった。三月節供は、女の子のお祝いで雛(ひな)人形や雛道具などが贈られる。
また、初めての年の暮れにはボコのお歳暮またはオテンジンサンなどといって、親元や親類などがこどもにお歳暮を贈ることがある。男の子には破魔矢か菅原道真を描いた掛け軸、女の子には羽子板か紫式部・清少納言などの姿を描いた掛け軸を贈る。これらは年末に床の間や座敷に飾られる。お返しはしないことが多い。
七五三の祝いのうち、三歳の祝いを栗田ではオビイワイといい、母の生家から帯などの祝いの品をもらい、学校に入学する七歳児は袴(はかま)をもらったという。南長池でも男は桍祝いといい袴を、女は帯祝いといい帯を母の生家からもらったという。境(稲里町)では七歳になると髪を切って神社にあげたという。七五三のお祝いのときにはお宮参りに着た掛け衣装を直してこどもに着せ、村の氏神さまや善光寺などにお参りにいくところもあり、昭和三十年代以降盛んになった。
女の子が初潮を迎えると女親に話すくらいで口に出すものではないとされていたが、今では家で赤飯をふかしてみんなで祝うようになった。