特別葬法

291 ~ 292

幼児が亡くなった場合には葬式を簡単にすませるところが多い。今井では乳児の死亡や死産の場合には屋敷つづきの墓に埋め、ヒトヨセ(人寄せ)を簡単にする。東横田でも幼児の葬式には寄る人も少なく、僧侶(そうりょ)一人で簡単にすませたという。犬石では地区中に寄せ鐘を鳴らすことはせず、親類などの近いものだけが寄って埋葬するという。

 幼児の納棺のさいには、おもちゃなど、そのこどもがよく使っていたものをいっしょに棺に納めてやるところがある。太田や長谷などでは幼児に人形を抱かせて葬る。これは寂しくても、そのこどもが帰ってこないようにする意味があるのだといっている。また、広瀬ではわらでツグラを作って、それを幼児といっしょに入れてやるという。

 妊産婦が亡くなったときにもふつうと違った葬り方をするところがある。犬石では妊産婦などが亡くなると、二度あることは三度あるといけないからと、人形を抱かせて、母とこどもと人形の三人にして埋めたという。また東横田では妊産婦の死者が出ると家の道端に赤い布を張り、通る人がその布に水をかけてやると仏が救われるといわれていた。

 戸外での変死者が出たときには、そのなきがらを家に入れずに外に置くというところが多い。南長池では遺体は家のなかへ上げないで、軒下または台所に置きそのまま密葬するという。広瀬でも、なきがらを座敷へ入れないで葬式をし、その死者の履物を屋根へ投げ上げるという。カワナガレなどとよばれる水死者にたいする扱いも通常とは異なるとするところがある。松代町中町では川で死んだときには壁を破って死体を入れる、五十平では川でおぼれ死んだものは壁をぶち抜いて死体を出す、などといわれている。岩野では行き倒れや水死体を無縁仏といい、共同墓地に埋葬した。

 そのほか、三水では同一の家族のなかで一年に二人の死者が出たときには、二人目のときに人形をいっしょに埋め、三度も弔いがないようにしたという。また、広瀬では大正時代のすえごろまで、老人の弔いのときには帯を屋根に投げ上げたという。