葬儀の翌日にはお寺参りといって近親者が集まり、お骨をもってお寺へ行き、お経を上げてもらう。その足で善光寺にオコツアゲ・骨開帳に行くところもある。善光寺では本尊様を御開帳してもらい、お経を上げてもらうのである。
初七日のやり方は家によって異なる。葬儀の参列者のほとんどを招く家や、本・分家、兄弟、こどもを中心とする家がある。田子では初七日のことをオハナオサメとよび、この日にお墓に納骨をした。現在では四十九日に納骨する家がほとんどである。また、南長池では死後七日目に講中が集まり念仏講をする。
その後は七日ごとに庵主(あんじゅ)さんやお寺さんを頼んでお経を上げてもらい、三十五日または四十九日に、お骨納めをする。お経を上げてもらったあと、お墓にお骨を納めにいく。田子では、死者の魂は亡くなってから四十九日はまだ集落にいて、この日になると魂は極楽と地獄の二つの道に分かれていくのだという。
また、この日の朝、南俣では餅をついて鏡餅のように丸めて一個ずつ箱に入れ、戒名を書いた紙を添えて、法要に参加した人や親戚に配った。今は餅の代わりに白いまんじゅうを使う家もある。田子では四十九日には四九個のお飾りといって、四九個の丸い餅を作って寺と親類に出した。
四十九日後の供養としては一年忌、三年忌、七年忌、十三年忌、三十三年忌、五十年忌などをおこなう例がみられる。百年忌をおこなうとするところもいくつかある。年忌のときには料理がふるまわれる。田子では一周忌にはほとんどの親類がよばれる。このときは四十九日よりにぎやかで、「おめでとうございます」などといわれる。
最後の年忌は七年忌とか十三年忌であるとするところもあるが、三十三年忌か五十年忌とするところが多い。三十三年忌のことを広瀬・塚本(若穂川田)・灰原などではトムライアゲといい、栗田ではアゲホウジとかオサメなどとよんでいる。地区によって最後の年忌の時期は決まっていることが多いが、最近では簡略化の傾向にある。西平(浅川)では、ほとんどの家では三十三年忌が最後の年忌であるが、最近では一年忌と三十三年忌とですませてしまう家もみられるようになってきているという。北屋島(朝陽)ではていねいに年忌をやれば五十年忌か百年忌であるが、最近では三十三年忌でやめてしまう家が多いという。
最後の年忌供養のあとについては、松岡では十三年忌以上になると先祖全体を弔うようになるという。また南長池では最後の年忌は五十年忌であり、それ以上は祖霊が氏神になるという。古森沢では死後一〇〇年は仏式で供養し、一〇〇年たつと鎮守さまにまつるという。