水田稲作への集中

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平の風土をもっとも特徴づけるものは、なりわいや生活全般にみられる水田稲作への集中である。そうしたようすを善光寺平にある典型的な平の稲作集落である若槻檀田(まゆみだ)にみていくことにしよう。

 檀田は、飯綱高原に源を発する浅川が、長野盆地の平坦部に出てきたところに作る扇状地に位置する。そのため浅川に沿って扇形に耕地が広がっている。檀田の土地は明治初期にはすでにそのほとんどが水田化されていて、山林や原野といった入会(いりあい)地的な土地はほとんどなかった。

 主な生業は稲作で、『長野県町村誌』の明治八年の統計によると、三六町五反の耕地のうち三一町一反が水田である。水田率は八五パーセントを超え、典型的な平の水田稲作集落である。そうした傾向は水田にりんごが栽培されるようになる昭和三十年代まで変わらなかった。農家戸数は四〇~五〇戸で、域内の新興住宅団地を除けば、明治初年からほとんど変わっていない。農家一戸当たりの耕地面積は八・七反で、そのうち七・四反が水田である。そのため屋敷の周りにあるセンゼとよぶ畑では、わずかに自家用の野菜を作るだけであった。

 表2-1は明治十三年における檀田の産物を示したものである。これをみると、明らかに米が産物としてきわだって突出した存在であり、その他の産物は生産量が少なく、自家用にすぎなかったことが理解されよう。

 そのように、高度に進行した稲作への集中、耕地化され尽くした土地、一定数に保たれた家数、そして水田のさまざまな利用(後述)といったことは、檀田が明治初期にはすでに稲作集落として極致の状態にあったことを示している。図2-2を見ると、平の村のほとんどは檀田と同じく水田率が八〇パーセントを超えており、同様の生業傾向にあることがわかる。


表2-1 平の産物 -明治13年(1880)の檀田-