水田のさまざまな利用

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平では、農家一戸当たりが所有する土地はおおむね八反に満たない。地主階層を除くと五反前後のところが多い。しかもその八〇パーセント以上が水田化されている。そうした農家の生計のあり方を「五反百姓(ごたんびゃくしょう)」といい、平の農家の平均的姿だとされる。

 そうした平の村における生業上の大きな特徴として、水田稲作への過度の集中とともに、水田への集中がかえって水田のさまざまな利用を生み出していることをあげることができる。かつては、稲刈りの終わった冬の水田を利用して麦栽培をおこなう水田二毛作、畔(あぜ)を利用して豆を栽培する畔豆栽培、水田内にいる魚を捕らえる水田漁労、水田内で魚を飼い育てる水田養魚など、稲作以外の生業が水田において盛んにおこなわれていた。


図2-4 水田に二毛作をおこなった割合(昭和初期)
(自治会・老人クラブ単位でおこなったアンケート調査により作製)

 水田二毛作により大麦・小麦が、畔豆栽培により大豆・小豆・そら豆が、水田漁労によりふな・どじょう・たにしが、そして水田養魚によりこいが、それぞれ水田からもたらされることになる。こうした産物のほとんどは主食料や副食料として自家消費されていた。このようないわば水田稲作に含まれておこなわれる他の生業によって、昭和前期までの平の人びとの食料自給性はある程度保たれていたということができよう。このような水田稲作への集中とともに進行した水田内部のさまざまな生業利用は、平の村において生計を維持していくうえでひとつの大きな特徴となっている。

 一例として、水田二毛作についてみてみよう。二毛作は、五反百姓のことばが示すように、少ない耕地の有効利用という点からも重要なことである。図2-4に示したように、昭和初期、ほとんどの平の村では水田の裏作に麦(大麦・小麦)を栽培していた。平でいう水田二毛作とは、稲刈り後から翌年稲作に使うまでのあいだの水田を、麦栽培に利用するものである。長野盆地の平では水田の二毛作への利用率つまり二毛作率は、多くの村で七〇パーセントを超えていた。

 平で水田二毛作をおこなうには、基本的につぎに述べる二つの条件が整わなくてはならない。

 第一の条件は、水田が麦作地として利用可能かどうかという点にある。水田を麦作耕地に転換するには、まず水田水利を整備し、取排水の徹底がはかられなくてはならない。湿潤を嫌う麦のために、水田を麦作の期間中は完全に乾田化することが求められる。