つぎに、生業に関連した儀礼に注目してみると、平のように水田化がいちじるしく、生計が稲作にかたよる地域では、どのような特徴がみられるのであろうか。これについては、とくに表作である稲作と裏作の麦作との関係において明瞭な違いがみられる。やはり檀田の例をみてみることにしよう。
一年のうちで稲作に直接関連しておこなわれる農耕儀礼は、正月行事のように漠然とした豊作豊年祈願を除外すると三回ある。そのうち、稲の豊作を祈願する最大の儀礼が、五月二十日のスジマキ祝いである。スジマキとは苗代の種まきのことであるが、檀田ではそれを五月二十日までにおこなうことになっていた。その日には各家で田の神をまつるオエビスサン(えびす棚)にあんころ餅(もち)を供える。つぎが、田植えの終わった日におこなわれるオマツリである。田植えはソオトメ(早乙女)とよぶ田植え人足を何人も雇っておこなう作業である。早乙女を迎えた二日目(最終日)に、干しにしんの昆布巻きを最高の馳走(ちそう)に、こうなごやちくわなどを料理して早乙女たちに食べてもらう。このときの馳走は正月や盆並みのものであるという。そして、三番目が、稲刈りが終わった日におこなわれるカマアゲ祝いである。カマアゲとは稲刈りを終えて鎌(かま)を片付けることを意味し、この日には餅をつき小豆御飯を煮て祝う。以上の三回であるが、稲作に関しては、ちょうど播種・移植・収穫の各段階に合わせて儀礼が設定されていることが分かる。
これにたいして、裏作の麦に関連した農耕儀礼はまったくおこなわれていない。稲作と時期的に重複する播種期や収穫期はもちろんのこと、稲作作業と重複することなく麦作しかおこなわれていない冬季においても、はっきりと麦作に関係すると考えられる儀礼はない。
このように、農耕儀礼に関しては表作の稲が一年の農耕全体の折り目となっている。麦の播種と収穫はそれぞれ稲の収穫と移植の時期に重なっているため、それらの作業にともなう忙しさは麦も稲も変わらないはずである。しかし、農耕儀礼の面では、稲の播種・移植・収穫は農耕だけでなく住民生活のうえで重要な折り目として意識されているのにたいして、麦の場合には忙しくて麦刈りや麦まきの終了を祝っている暇などないとされる。水田二毛作の場合、農耕技術の点では、表作の稲作が常に優先され、麦作が裏作としての地位しかあたえられていなかったが、農耕儀礼の面からいうと、そうした傾向はさらに極端になり、麦は儀礼上一顧もされず、水田は完全に稲作のためだけの場になってしまっているといってよい。