平では水田用水のほとんどを河川水に頼っていたことは前述のとおりである。そこでひとつの問題がある。水不足である。平では高度に水田化が進んでおり、膨大な水田用水を稲作時期に必要としたからである。そのため不足した水をどのようにして補うか、また少ない水をどのように有効に利用するかという点にいつも気を使っていなくてはならなかった。
そうした点に関して、もっとも象徴的な存在が水利組織である。檀田の場合は、図2-5に示すように、水田水利の元栓ともいえる四郎セギ・ 五郎セギを介して、村を越えたさらに大きな水利組織に組みこまれている。檀田は浅川から水田用水を引く稲田(稲積・山田)・東条・徳間・上松・上宇木・下宇木・押鐘・吉田といった村々と浅河原十ヶ村用水組合を作り、浅川の水を共同管理していた。用水組合では、図2-5にあるように、太郎セギ以下一一本のセギと上蓑ヶ谷(かみみのがや)池以下七つのため池の管理をしていた。
平に位置する浅川扇状地は高度に水田化が進んでいたため、水量が決して豊富でない浅川は、上手に水を管理していかないと、三六〇町歩といわれる一〇ヵ村の水田用水を賄いきれない。自然に流れる浅川の水だけでは、毎年田植えのころにはすでに水は不足気味になってしまう。そのとき頼るのが、十ヶ村用水組合が飯綱高原にもつため池の水である。合計七ヵ所あるため池は、すべて上ケ屋(芋井)や北郷(浅川)など飯綱高原の標高一〇〇〇メートル近いところにある。人工的に造ったものや自然の池に手を加えて築造したものがほとんどで、水使用やため池築造に関しては、昔からそうした山の村々とこまかな取り決めをしている。十ヶ村用水組合では浅川の水が不足しだすと、平に近いほうから順にため池の水を利用する。
こうして山にため池を作って備えていても、水不足におちいることは平ではよくあることであった。そうしたときには、たとえば檀田ではバンガケとカケナガシという分水方法をとった。バンガケは用水が不足してきたときにまずとられる方法である。四郎セギ・五郎セギといった幹線用水から小セギヘ水を分けるときに、水田面積に応じてそれぞれの小セギに水を配分するものである。それにたいしてカケナガシとは、バンガケではもはや間に合わないほど水が不足したときにとられる方法である。バンガケのように水を全員で分けたのでは各小セギに入る水が少なくなりすぎてしまうため、一定時間を区切って一つ一つの小セギに順番に水を入れていくものである。