平の人びとは山からさまざまな啓示をうける。それは自然に関係しておこなわれることが多い。平の人びとにとって、それは民俗的生活をおくる上で、重要な判断材料となっている。
まず、図2-6に示す雪形(ゆきがた)の分布図をみていくことにしよう。明らかに平においては菅平(すがだいら)と飯綱山が重要な農耕の目安として認識されていることがわかる。平では、菅平に残る「十一」(「八」や「三」の場合もある)の雪形を目安にして、それがあらわれたら苗代の種まきをおこなうとされるところが多い。さらに若槻田子(たこ)では菅平の「十一」が消えたら、夏芋の種まきをおこなうという。そのほかにも田子では菅平に三度雪が降ったら田子にも雪がやってくるといい伝え、それは同時にその年の田畑の仕事の終わりを意味していた。また、飯綱山の雪形としては「猿」「三沢」「肥桶(こえおけ)をかついだ農夫」などが農耕の目安として用いられている。
それにたいして、図2-7は天気の予知に用いられる山を示したものである。この図からは、同じ平でも善光寺平と川中島平とでは、天気予知に用いる山に違いがあることがわかる。善光寺平においては主として天気の予知に飯綱山が用いられるのにたいして、川中島平においては聖(ひじり)山と冠着(かむりき)山が天気の予知によく用いられている。つまり天気の予知という自然認識の仕方が、善光寺平においては北を向いてなされるのにたいして、川中島平においてはそのまったく逆である南を向いてなされる点が興味深い。それはひとつには、飯綱山の場合は雪の降る目安に用いられるのにたいして、聖・冠着山の場合には雨・晴の判断の目安に用いられることに関係していると考えられる。
また、よりこまかく善光寺平のなかをみたとき、同じように飯綱山を目安とした天気予知の方法にも地域による伝承の違いが存在することがわかる。つまり、三輪や古牧においては「飯綱に三度雪が降れば平にも雪がやってくる」といわれているのにたいして、大豆島(まめじま)では、「飯綱に七度雪が降ると平に雪がやってくる」というように、目安となる降雪の回数が変わっている。
なお、天気の予知に用いられる山には、飯綱山や聖山・冠着山のような大きな広がりをみせるもののほかにも、市内にはごく限られた範囲でしか通用しない天気予知のための山が各地に存在する。若槻・古牧・浅川における三登山(みとやま)、信更(しんこう)・七二会(なにあい)・篠ノ井における虫倉山、松代における地蔵峠などである。