平の周辺には広大な山間地がある。それは伝統的にはヤマ(山)とよばれる。山は平に比べるとはるかに広大な面積を占めているが、人口密度は低くそこに暮らす人びとは平ほど多くない。しかし、密度は低いとはいえそこにも昔から人びとが生活してきたわけであり、平とは違った生活のあり方があった。当然、それは平とは別の風土としてとらえることができる。以下、山を長野盆地のもうひとつの風土としてとらえることにしよう。
前掲の図2-2を見ると、平の西部山間地にあたる芋井・小田切・七二会・信更と、若穂・松代といった千曲川の東南部地区は、水田が畑地に比べて少ないところがほとんどである。そのなかでも、とくに上水内郡戸隠村や中条村といった山間の村々につながる西部山間地は、水田率が三〇パーセントを下回る地域で、とくにニシヤマ(西山)とよばれる。そのなかには水田をほとんどもたない村も存在した。
そうしたことは村の土地に占める山林・原野の割合に注目することにより、より明確となる。図2-8からは、山の村は域内に占める山林・原野の割合が五〇パーセントを超える村がほとんどであることがわかる。反対に、平の地域をみてみると、『長野県町村誌』に示された明治十一年(一八七八)の段階で、早くも村内に山林・原野をまったくもたない村が多数存在していることがわかる。
長野盆地では千曲川が盆地の東側寄りに流れており、結果的に耕地が千曲川西岸にかたよって存在しているが、そのため平の人からみて山といった場合、多くは西山をさすことになったと考えられる。西山は、長野市域にとどまらず、戸隠・鬼無里村や中条・小川村につづく広大な山間地である。また、この西山と区別して、芋井や浅川をキタヤマ(北山)とよぶこともあるが、地域的には限られている。