山の水田は地すべり地に開かれたところが多い。とくに地すべりにより傾斜がなだらかになったところに比較的大きな水田が開かれている。広瀬の場合、もっとも広い田が集まり、また殿様への献上(進上)米を栽培したという伝承をもつ進上田沖は、そうしてできたところであるとされる。
このように山の耕地とくに水田は地すべりとは切っても切れない関係にある。そのため山の水田を維持管理するうえでの最大の問題が、地すべり対策であるといってよい。
広瀬では、よく地すべりを起こすところ、または過去に地すべりを繰りかえしたところをヌケッパとかノケバとよんでいる。人びとに語り継がれる伝承として、広瀬には過去に何度かの大きな地すべりがあった。たとえば、弘化四年(一八四七)の善光寺地震にともなう地すべりでは、耕地だけでなく広瀬の集落の北半分が土で埋まってしまったという。
こうした大規模な地すべりのほかに、小規模な地すべりは毎年のように繰りかえし起こっている。たとえば、大雨が降って水が一度に流れたりすると、簡単に水田の二、三枚は抜けてしまう。その場合、水田が抜けるとは、水田全体が地すべりを起こすのではなく、水田の畔やその付近が崩れて下の水田へ抜け落ちることをいう。一般に抜けやすいところは、デミズ(出水)のあるような水田や、またそれとは反対によく乾いてひび割れを起こすような水田である。
そうした小規模な地すべりにたいする人々の工夫として以下の三点があげられる。
まず第一に毎年繰りかえしおこなっている水田作業上の工夫があげられる。それは、畔塗りと代かきの作業に代表される。山の水田では畔塗りと代かきはとくに手間をかけていねいにおこなわれた。それは畔や水田の底の部分から水が漏れないようにするためである。水田からの水漏れは地すべりを誘発するからである。
二番目として、山の水田の構造上の工夫がある。それはアテの機能に代表される。アテとは排水口のことであるが、平にみられるものとは違う。山の水田には尻水口とは別に少なくともアテが一ヵ所以上作られる。アテは大雨が降ったりしたとき、水田のなかの水の排水を助けるものである。アテを作っておかないと上の水田が抜けて一度に水が水田に入ってきたとき、つぎの水田も抜けてしまうことになる。
三番目として、水田を新たに開くときの工夫をあげることができる。それはカメノコツキとよぶ地つきに代表される。新たに水田を開くとき、大きな丸い石に縄を回し、そこに持ち綱を付けたものを六~一〇人が手にもって歌を歌いながらみんなでまんべんなく水田の床土をついて回る。こうして十分に床をつくことにより水漏れを防ぐことができる。