マチ(町)

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土地利用のうえで、山や平の存在を明瞭に示した前掲の図2-2(水田率の分布)および図2-8(山野率の分布)においては、町は平でなく山でないところとしてしか示すことができない。具体的には、図2-2でいえば、地理的には平に存在しながら水田率が低いところであり、図2-8でいうなら山林・原野を域内にもたないところである。

 それなら、土地利用上もっとも町を示すものは何かというと、それは土地に占める宅地の割合(宅地率)ということになろう。図2-12に示すように、山においても平においても土地に占める宅地の割合は五パーセントから一〇パーセント程度とほぼ一定しているにもかかわらず、周辺の地域と比べ、極端に高いところが市域の長野盆地のなかに存在している。

 そこが旧長野町(善光寺町)と旧松代町(松代市街地)である。善光寺町においては宅地率が三六・三パーセント、松代町にいたっては九一・一パーセントにも達している。善光寺町は善光寺の門前町として古来から栄えた町であり、まさに長野盆地の政治経済の中心である。しかも、そうした政治経済上の中心性は、近代以降もますます強まっていった。また松代町は町としての規模は善光寺町におよばないが、もともと松代藩の城下町として発展し、町の中心部には商業地や寺などの宗教施設および武家の邸宅が多く存在する。善光寺町に比べても松代町の宅地率の高さがきわ立っているのは、そうした武家を中心とした広大な住宅が町の中心部に存在するためであると考えられる。

 善光寺町・松代町とも、域内には農耕地や山林原野がほとんど存在せず、そういった意味からいえば風土観を形成するうえで農林業を通しての自然との関係は浅いといってよい。山や平の農山村においては風土観が自然との関係、とくに農林業を通して形成されていたのとは違って、町には町ならではの、山や平とは違った風土が形成されていると考えてよい。


図2-12 可耕地に占める宅地の割合(宅地率)(『長野県町村誌』明治8年統計より作製)