ザイ(在)の発見

335 ~ 336

町の風土は、町の内と外を対比的に眺めるとき、より鮮明となる。具体的に、町の住人のなかでももっとも町を体現した存在のひとつであるといってよい魚屋に注目してみたい。

 魚屋の売り方には、行商、御用聞き、店売りの三つの方法がある。その大まかな変遷をみてみると、かつては行商と御用聞きが主であったが、のちに店に魚を並べて売る店売りがおこなわれるようになってくる。重要なことは、売り先(客)により売り方が使い分けられることである。主に町での魚の販売は御用聞きが主となるのにたいして、平や山では行商が多くなる。そのとき、行商で魚を売る主な地域はザイ(在)と表現される。

 かつて魚屋はオトクイサン(お得意さん)へは毎日御用聞きにうかがっていた。大店(おおだな)や大家といった一般のお得意さん以外に、料理屋や旅館にも御用聞きにいった。それを一般に「料理屋商い」といっており、収入の半分以上をそれに頼っている魚屋も町には多かった。善光寺に近い東後町にある老舗(しにせ)の魚屋の場合、かつては三、四人の丁稚(でっち)を使って自転車で御用聞きに回らせた。その範囲は遠くてもせいぜい善光寺下や妻科までで、半径一里以内であった。魚屋にとって町とはまさに御用聞きの圏内である。

 そうした御用聞き圏の中心となるのがかつて東町にあった市場である。それにたいして、町の魚屋にしてみると、町を一歩でも出た先は在である。それは前述のように行商圏に一致する。魚屋に限らず町の商人の行商の範囲は広く、平の農村部にとどまらず山にまでおよんでいる。そのため、在とは町周辺にある平坦部の稲作農村地帯(タイラ)とともに盆地周縁部の山間農村地帯(ヤマ)まで含まれる。

 町の視点に立つ限り、長野盆地の民俗的空間は町と在しか存在しないといってよかろう。そうした町の魚屋からみた長野盆地の民俗空間は図2-13のようになる。


図2-13 善光寺町の魚屋からみたマチとザイ