平から山をみた場合、その存在意義は人と水に代表されよう。つまり、前述のように、労働力の面からみて山は平の生業とくに水田稲作を支える存在であったし、また同時に山は平の稲作にとって欠くことのできない水の源を意味する空間でもあった。また、水にまつわる山の象徴性についていえば、平が水不足におちいったときにすがるのは、やはり戸隠山や聖山といった山にある神仏であった。
それでいながら、平の人びとは山に、つまるところ水田が少なく米が十分にできないところという負のイメージを強くもつ。それは裏返せば、平が平自身の存在意義を水田および米に求めていることを示しているといえる。そのため、平では、山の村で人が死にそうになったら米をもっていって茶袋に入れ、揺すって聞かせると驚いて目を開けるというような言い方をすることもあった。
また、こうした山にたいする見方とは裏腹に、山からやってくる早乙女やタアブチ・タアカキを歓待する観念も平には形成されていた。タアブチ・タアカキの場合、田植えが終わるとマンガアライ(馬鍬洗い)の祝いがおこなわれ、赤飯と苗を神棚に供えるとともに、馬方を上座に据えその慰労をおこなった。また、早乙女には田植え後ににしんなどのごちそうを作って食べさせる家が多かった。これは単に慰労や感謝の意味だけでなく、山から迎える早乙女やタアブチ・タアカキを、平の稲作を支えてくれるものとして神格化する意識が、かつては存在していたと解釈することもできる。
つまり、平の人にとって、山は相反した二つの側面をもった存在であるといえよう。それは稲作に関連して形作られた観念であることに注意しなくてはならない。平が水田稲作を中心として均質化し、横並び意識の強い社会になればなるほど、平から山へのまなざしは実際の生活者を見ることなしに、現実の自分たちの姿からもっとも遠いところにある二つの相反した観念を山の人びとに付与するようになったといえるのではなかろうか。