町の魚屋では、町場の商店・料理屋や町家を相手にするほか、町周辺の在も重要な商売相手であった。町に比べると在の人びとはとくに季節性の強い客であることに特徴がある。売り方としては、御用聞きが中心となる町での商売とは違って、行商が中心となることは前述のとおりである。
いろいろな祭りごとや田植えやえびす講などの季節の折り目や祭りごとの前になると、魚屋では天秤棒(てんびんぼう)をかついで在の村々へ行商にいった。とくに田植えにしんのように、時期が少しずつずれて売れる地域が変わるものはそうである。田植えの早い山から順に平へと移動して売り歩く。五月から六月にかけてのころには信濃町あたりから売り出し、最後に七月十二、十三日ころになって川中島平にやってくる。
また、反対に、在の人たちはそうした時期になると、町へやってきて魚を買っていくことも多かった。たとえば、さんまはえびす講のごちそうとして欠かせないもので、時期が近づくと山から多くの人が町の魚屋に買いにやってきた。
在の農家にとって、金を出して買わなくてはならない海産魚は貴重品である。かつてはたとえ一年に一度でも、塩鮭(しおざけ)が食べられるようなら一人前であるとされた。魚屋からみれば、在の人にはそうした盆・暮れや祭りのときでなくては魚は売れなかったことになる。
注目すべきことに、在は商いの重要な相手でありながら、町の魚屋には在を一種見下したところがあったことである。総体として在は大きな商売相手ではあっても、個人の単位になると、それは年に一、二度しか魚を買ってくれない人たちであった。しかも、さんまやにしんなどのような安値の魚しか買わない。在は魚屋にとっては何年たっても「お得意さん」にはならない存在であった。
町に生活する魚屋は在の人びとにたいして、年に一、二度しか魚(しかも安い魚)を食べられない貧しい人という印象をもっていた。また、在の人びとが町へやってくるときの人相風体、たとえばその着物から受ける印象として、町の人とは違ったみすぼらしさを感じていた。そうしたもろもろの印象が、在にたいする一種独特な感情を生みだすもとになっていたのであろう。