人びとが安心して生活を営むために、昔から家屋敷は大事な存在であった。一つ屋根の下で、雨露や寒暖を防ぎつつ、ゆっくり睡眠や食事がとれる空間が求められてきたのである。こうした安心できる家屋敷の確保は、だれにとっても大きな関心ごとであった。そのため山崩れや地すべり、洪水などといった災害の起きない土地を求めた。またそうした土地に住む人びとによって、災害を防ぐ努力をしてきたのである。
長野市は西山などとよばれる山間地域と平坦(へいたん)地域とに二分でき、以前は山間地の地すべり、平坦地の犀川や千曲川による洪水の被害が今にも増して大きかった。こうした災害も近年の土木技術の発達によって克服され、土地開発の波は過去のたびかさなる災害地域をも立派な住宅団地にするなど、家屋敷の様相も大きく変化してきている。
いっぽう、社会情勢の変化によってもたらされた家屋敷の変化も激しく、今後一〇年間で全国の二〇〇〇集落が消滅のおそれがあるというショッキングな報道もあるが(『信濃毎日新聞』平成九年八月二十三日付)、長野市内でも、山間地域の過疎化や市街地の空洞化現象は深刻なものとなってきている。跡継ぎ世帯が減少したり、田畑・屋敷地を放棄するケースが増加したりで無住化が進行しており、村そのものの維持も困難な状況となってきている。あわせて新幹線や高速道路網の整備によってやむなく移転せざるをえない場合もみられ、過疎化とともに開発による家屋敷の変化も大きい。そこで本節では、開発と過疎化のはざまで揺れうごく、家屋敷の変化についてみてみたい。