商店街の空洞化

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山間地から平坦地への移住の動きがあるいっぽう、市街地から郊外の平坦地への移住というケースも最近増えてきている。それまで商店を寝食の住まいの場としていた人びとが、若いものの代になってからは、郊外に新築した家屋敷から通ってきて商売をすることもまれではなくなってきた。

 また商業の中心が長野駅前界隈(かいわい)に移ったことにより、それまで商店街としてにぎわってきた古くからの町がさびれ、伝統ある商店街の空洞化現象が市内でも顕著な状況となってきている。人通りがめっきり少なくなった通り沿いには、シャッターを下ろしたままの店や空き地となって駐車場になってしまった姿を見ることも多くみられ、かつての活気ある商店街のにぎわいは伝わってこない。

 こうした傾向は、善光寺の門前町として栄えた善光寺町各商店街にとっても例外ではない。かつては「いい物は善光寺さんのそばへいかなければ買えない」といわれ、近在や西山の村から多くの人びとが買い物にきた場所である。そのため、善光寺前の中央通り両側には、昔からたくさんの店が建ちならんでいた。しかし永いことこの地に店を構えてきたいくつかの商店も、集客能力の高い駅前近くに移転していったり、敷地が広く駐車場が確保できる郊外に移っていったりで、客足はますます遠のいていく現状である。それに加え、父祖から受け継いだ伝統ある店を継いでくれる若者のいないことが追い打ちをかける。後継者難の問題は若者がみな町に出ていってしまうという農山村だけの問題ではなく、一見はなやかに見える町の商店にとっても同様に深刻な問題となっている。

 しかし、店の維持、継続がむずかしくなりつつある現状のなかで、なんとか店を守りつづけようと努力している姿もたくさんみられる。善光寺のおひざもと東町で魚屋を営むY商店は、先々代から鮮魚店として店を守ってきた。父親が亡くなったあと、跡取り息子として店を継いだが、魚臭さが体にまでしみこむこの商売がいやで困ったという。しかし、仕事にも慣れてきて欲が出てきたのか、それ以後の五〇年間は鮮魚店一筋に精を出してきた。

 Y商店の屋敷地は約百坪あり、図2-19のとおり間口五間、奥行き二〇間と、東西に細長い短冊型をした町屋独特の屋敷割であった。道路に面した表側から店、住居、作業場、土蔵の順に建っていた。店は平入りの土蔵造りで、間口五間いっぱいにとってあった。店の土間部分には、鮮魚商らしく「氷室(ひむろ)」を築造して、魚の鮮度を保った。冷蔵庫が出回る以前のことで、土間の下に石垣を積み上げて縦三メートル、横二メートル、深さ二・四メートルの穴を造り、冬場に店先に積もった雪をかき集めては穴に詰め、なかに生物(なまもの)やたらこ、塩辛、塩鮭(しおざけ)、干鱈(ひだら)を入れて春先まで保存したという。戦時中は家財道具を守るための防空壕(ごう)にも利用したが、老朽化のために平成三年(一九九一)につぶしてしまった。


図2-19 Y商店の屋敷図

 その奥には東西に走る通路があった。通路の北側には家人用の住まいと南東寄りに仕出し用の作業場が建っていた。そして東側の奥に土蔵を配置するといった、屋敷地を最大限に利用した造りとなっていた。土蔵は間口三間、奥行き四間の平入りで、一階は生物を保存し、二階は乾物の貯蔵場所となっている。一階には土間を掘った穴蔵のなかに、昔は塩のきいた鮭(さけ)や鱒(ます)を保存しておいた。今は大型の冷蔵庫を設置し、零下四五度で甘えびなども保管している。また二階は大梁(おおばり)造りになっていて、キボシとよぶたらこの干したものやごまめ、昆布、身欠きにしんなどの乾物の保管に当ててきた。

 最近中央部の住居や作業場の部分を改造し、嫁いだ娘夫婦の新住居を併設し、同じ屋敷地内でいっしょに暮らすことになったので心強いという。


写真2-8 土蔵造りの商店街(東町 平成10年)

 街の盛衰は、客層の流れと深く関係し変化していく。商店街の空洞化にともなって商売をやめざるをえない家も出てきたりして、勤め人の家が多くなってきている現状でもある。Y商店主も勤め人である娘夫婦と同居できたことを喜びつつも、今後とも店の看板を掲げつづけられるかどうかと心配もしている。こうしてかつては大変にぎわった商店街の空洞化現象によって住人が減少してきている。とともに、町自体が商店街から住宅街へと新しく生まれ変わりつつあるといえる。

 かつて人びとは安定した家屋敷の確保を望むとともに、家の永続をも願ってきた。最近では「家が絶えた」などという話も、あちこちで聞く。家が絶えることを絶家ともいい、その跡地は親戚筋が管理したり、畑や駐車場として他人のものに移ってしまっている場合もある。しかし、家屋敷がその場になくとも、よそでその家のものたちは健在である例はいくらでもみられる。宅地開発をとおして建物や土地などの家屋敷は、売買の対象となり流動的となってきている。加えて少子化による長男・長女同士の結婚や未婚者の増加などから、かつては強く意識されていた家屋敷と家との一体化も崩れて多様化してきている。こうして屋敷地はあっても、住人のいない過疎の村や町は今後さらに増える傾向にある。