過ぎ去る時間

373 ~ 374

私たちの生活は時間とともに展開している。こどもからおとなになり、結婚して家庭生活を営み、父となり母となって次代を背負うこどもたちを育てる。それはかつて一人前になったものの果たすべき重要な役割の一つであった。そしてそのこどもたちが結婚して、生まれた孫の顔を見ることができることが、この世の幸せの一つとして数えられていた。なぜならこの世においては子孫を残して家を継続することができ、死んでからも供養してくれ、盆などには迎えてくれるものが存在することになるからであった。こどもがいるということは、この世においてもあの世においても満たされた、幸せな存在と考えられていた。このような一生の生活も時間とともに展開する生活であった。


写真2-12 百二十日箸祝いの記念写真(芹田 昭和15年)

 私たちは、そうした流れ去る時間のなかで成長し衰えていくのであり、ふたたびは繰りかえされない時間のなかで一生を送るのである。こうした時間は、ときがたつにしたがって古くなる時間である。誕生祝いや、七五三の記念写真は、その時間をフィルムや印画紙に焼き付け、写真を見ることによってその時間をいつでも再現することができるようにしようとしたものである。しかし、しだいに写真の色はあせ、セピア色に変わり、そこに定着された幼子も白髪の老人になり、時間が過ぎ去ったことを確認する手段にすぎなくなってしまう。それは時計という機械で測定することのできる時間である。