年中行事と生活暦

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年中行事はふだんの生活とは異なる食べ物や儀礼によって構成される。したがって、年中行事がおこなわれる日は改まった日なのである。年中行事はとくにこれといって変わったところのない、ただ働くだけの日々のなかに組みこまれた特別な日である。それは農作業の展開と深くかかわりながら、人びとの生活の展開の目安とも目標ともなった。

 私たちの生活はこのようなふだんの日と、改まった日との組み合わせによってできあがっている。この異なる二つの性格の日々を同時にとらえることによって、生活の展開をより正確に理解することができる。このようにして生活の展開を把握しようとするのが生活暦である。

 オカドコで畑作物を中心とした農業を営む松代町岩野では、かつてさつまいもを作っていた。そのころは三月中旬になると苗床を作り、四月上旬ごろにさつまいもの種をふせ、四月中旬ごろにアゲブタをして元肥(もとごえ)をかけた。

五月二十日ごろから植え付けを始め、六月五日ごろまでにすませて、七月にはいって土寄せをおこなった。四月二十日過ぎから八十八夜までにすいか・なす・うりなどの種まきをした。五月八日のお薬師さんまでに蚕の準備をし、春蚕(はるご)は五月二十日ころ掃き立てをする。六月末から七月にかけては麦刈りと麦の脱穀がおこなわれ、また夏蚕(なつご)の掃き立てがおこなわれた。七月の十五、六日ごろに農休みをした。嫁はこのときに里帰りをした。

 夏のあいだは蚕を飼い、野菜作りをし、十月中旬ごろさつまいもを掘りはじめた。十一月八日のお薬師さんまでには小麦まきをすませ、機(はた)織りの準備を始めた。十二月の武水別(たけみずわけ)神社(更埴市八幡)で大頭(だいとう)祭がおこなわれるころ、麦の畝間(うねま)の上を起こした。これをフユザクを切るといった。冬場は家のなかで男は藁(わら)仕事、女は機織りや縫いものをし、一年中の履物や着るものを三ヵ月ほどで作った。春の彼岸明けには桑畑の手入れをし、麦の畝間の土をこまかくするシミギリをした。

 こうした仕事のあいまには正月や盆の行事、節供(せっく)・ミサヤマ・お月見などの行事がおこなわれる。そして彼岸にはお墓参りをし、五月八日には清水堂、地蔵堂の釈迦(しゃか)に甘茶をかけ、また、地獄極楽の絵を飾ってこどもたちに見せたりした。

 農作業の展開は自然の推移と密接にかかわり、行事もそのなかに組みこまれていたのである。