村の一年はかならずしも元旦(がんたん)から始まるわけではない。もちろん暦にしたがって一年を考えないということではない。年の暮れに一年間の汚れを払う大掃除をし、新しい暦をかけかえ、元旦には初詣(はつもう)でをし、若水を汲(く)む。気持ちを新たにして新しいときを迎えるのはどこの家においても同様であった。「正月せう(という)もんはいいもんだ 豆腐のような餅(もち)食って コッパのようなトト(魚)食って 正月せう(という)もんはいいもんだ」と芹田(せりた)では歌ったが、ふだんとは異なる食べ物によって強く印象づけられるときでもあった。
村において若者たちの仲間に、新しい若者が加わるのも正月であるところが多かった。村の役員の選出も十二(じゅうに)(篠ノ井有旅)や花立(はなたて)(更北小島田(おしまだ)町)・戸部(川中島町)などでは一月十五日のオヒマチ(お日待)に決めていた。広瀬でも役員の交代は十五日のドウロクジン祭りのあとにおこなったという。これらは暦年度にしたがって村の一年をとらえたものであるということができよう。もっとも長野市域においては、村の役員交代を四月におこなうところが圧倒的に多い。これは現在の社会において、学年度にしても、会計年度にしても、四月を一年の開始とすることが多いことを背景にしているのであろう。
つまり村の一年は、かならずしも一月から始まるとは限らないのである。それは行政上の都合などによるだけではなかった。かつて村という地域社会の存在がより大きな意味をもっていたときでも同じであった。時間をはかる暦は一月から始まるのであるが、生活それ自体の開始はむしろ野良仕事に合わせて意識されていた。
田子(たこ)(若槻)では二月下旬に雪解けが始まると畑に出て麦踏みをするが、このように春先に畑に出て仕事をすることをハルダチといっている。それまでは、せいぜい早く雪が消えるように土や灰をまく程度で、本格的な野良仕事はできない。仕事をすることが生活の基本であるとしたら、このときにようやく新たな時間が出現したことになる。事実、ハルダチということばは、春が出現したことを意味するものである。そして、三月彼岸を目安にして田に出るが、これをサクダテという。このころにおこなわれるカンアケブシン(寒明け普請)は、村の新役員のもとでおこなわれる最初の共同作業である。農道や用水の手入れは、これから始まる農作業のために欠くことのできないものであった。また、春の彼岸から昼寝をすることも許されていた。こうして村には新しい時間が訪れたのである。