いったん新しい時間のなかで新しい仕事が開始されると、体を休める暇もなく労働に明け暮れる日々がつづく。もちろん休日がまったくないわけではない。春祭りや夏祭りがあるし、先祖を迎えて祭るお盆も息抜きのできる機会ではある。しかし、それは一時の休みであり、春先に開始した作業の終わりではない。丹精こめた作物の収穫がおこなわれて、はじめてその時間は完結することになる。
収穫は作物の種類によって異なる。春の訪れを実感させた麦踏みの成果は、六月中旬から下旬の麦刈りにあらわれる。日方(ひなた)(小田切塩生(しょうぶ))ではカマイレといって、昭和の初めごろまで一番初めに麦を刈る人が一つかみ結んで山の神に供えたというし、五十平(いかだいら)でもカリバツといって麦を小さな束にして、穂と穂とを縛って木の枝にかけたという。
このような収穫の作法は、豆の収穫のときにもみられる。五十平では大豆をはたき終わるとコキバシアゲをし、大豆を妙(い)って食べる。そして麺(めん)類を作って神様にあげたという。また、小豆の収穫が終わるとベイアゲといって、小豆粥を炊いて平めんを入れて食べたという。三水(さみず)(信更町)では旧暦の十月十日は野菜の年取りで、大根や白菜の取りはじめであるという。これらはオヤキにして神様にあげてから食べるという。また、なすやきゅうりも神様にハツモノソナエ(初物供え)をしてから食べるという。これほどていねいな作法はなくても、野菜を初めて収穫すると、初物といって神仏に供えるところは多い。
それぞれの作物の収穫ごとにさまざまな作法があるが、いっさいの畑仕事がすむことを広瀬ではクワアゲといい、日方ではカカシアゲといって餅を供えるという。カカシアゲは畑の作業の終わりとしてだけではなく、古森沢(川中島町)では桑畑や水田などのすべての仕事が終わったときにするものであるとしている。南長池(古牧)でも田の作業の終了した日の祝いである。岡(篠ノ井西寺尾)・岡田(篠ノ井)・長谷(はせ)(篠ノ井塩崎)・柴(しば)(松代町)・入組(松代町西条)などでは稲の刈り上げの祝いの名前としている。ともかくこうして作物にあらわれた時間と、作業にみられる時間とが二重になってはいるか、ここに一つの時間の流れが完結したことになる。