さまざまな秋

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稲の収穫作業が終わったときを示すことばは、農具や作業の内容にかかわる表現によるだけではない。古森沢では稲の脱穀作業がすむことをアキヤスミという。このようなアキは暦に示されている秋とはかならずしも同じではない。古森沢のほかにも戸部・岡などでも米や麦の収穫時期をトレアキといっている。麦の収穫もトレアキにするのであれば、これは季節の秋とは同じではない。

 南俣(みなみまた)(芹田)ではかつて田植えが遅く、七月二日のハンゲンダウエ(半夏(はんげ)田植え)が田植えの始まりであったころ、三番草は八月初めであった。伸びた稲のあいだを暑い日差しに背中を焼かれながら両手両足ではって草を取ったあと、畦(あぜ)で一休みしているときに涼しい風が吹いてくると「秋風だ」と感じたという。また、「盆が過ぎれば秋風が立つ」といったというから、八月にはすでに季節の秋が訪れはじめていたのである。そしてこおろぎやすいっちょが鳴きはじめると、いよいよ秋の訪れを実感したという。しかし、それは季節の訪れだけではなかった。アキシゴトが待っていたのである。

 稲刈りは十月半ばからであり、これがアキの始まりであった。そして十一月の半ばの脱穀によっていちおうアキが終わる。しかし、作業自体はこれで終わるわけではなく籾(もみ)を干して選別し、貯蔵しなくてはならない。また、豆はたきをして豆を貯蔵しなくてはならない。仕事はつぎからつぎに出てくる。「おやど(あなたの家)ではアキは終わったかね」というあいさつが交わされるのは、十一月二十日のえびす講前後からであった。どこの家でもなかなかアキは終わらなかったのである。そして、アキは雪が降って屋外の仕事ができなくなってようやく終わる。

 気がつくと草むらで鳴いていたこおろぎやすいっちょの鳴き声も聞こえなくなった。季節も秋から冬に移行するのである。季節の変化を虫の鳴き声で意識することは多いが、それだけではなく、虫の存在によってとらえようとするところもある。田子(若槻)では八月二十七日のミサヤマサマの日に蚊は山に帰るという。人びとを悩ましていた蚊はいなくなるが、そのとき蚊は「俺たちが山へ帰ると人間は喜ぶが、これから寒くなって毎日困るだろう。ざまあみろ」と口をきいて(悪口をいって)帰るのだと伝えている。

 これと同様な伝承は、西之門町・柳町・南千歳町・七瀬町・中千田(芹田)・若里・三輪・古里・浅川・大豆島(まめじま)・朝陽・若槻・篠ノ井布施五明(ふせごみょう)・篠ノ井塩崎・松代町東条・若穂綿内・稲里町田牧・七二会大安寺・川中島町上氷鉋(かみひがの)・同四ッ屋・同今里などにも伝えられており、ほぼ市域全域におよんでいる。その日取りはかならずしも一様ではないが、ミサヤマを目安とするところが多い。ただ、八月ではなく九月の二十七日前後としているところもみられる。松代町東条では十月二十日としており、かなり遅い時期に季節の変化を認めようとしている。

 また、その虫を蚊とするだけではなく、松代ではとんぼが姿を消すのは九月末であるとし、若穂川田では赤とんぼが九月一日に姿を消すという。また、鶴賀七瀬町では八月十五日にせみが姿を消すという。これらはすでに明確な伝承を確認できなくなってしまったものも多いが、季節は虫とともに去っていってしまったと感じていたのである。それは、明確な意識をともなわないけれども、生活の展開と深くかかわる時間も動物も自然なども、山と村とのあいだを去来するのだという認識があったことをうかがわせるものである。


写真2-16 稲刈り(古牧 平成9年)

 アキという語は季節の名称として用いられるだけではなく、農作物の収穫作業や、その時期を示すことばでもある。そして、生活のリズムにかかわる名称でもある。単なる暦に示された時間をあらわすだけではなく、私たちの日常生活と密接にかかわりあいながら、実感としてとらえられることばであった。それはもっとも多忙な作業の時間であるとともに、収穫の喜びを実感できるときでもあった。しかし、同時にきびしい寒さの訪れを告げるときでもあり、かつては一年の労働の終了を告げるときでもあった。そして、時間は冬に、正月に移るのである。