町の時間の展開は自然の変化だけにもとづいてはいない。もちろん寒さ暑さは生活のうえに大きな役割を果たしてはいる。そうした意味では、自然の変化は町に暮らす人びとにも大きな意味をもっている。だがそれが町の生活のリズムを作っているわけではない。
大地を耕し、自然の恵みにもとづく生産をその生活の中心に置くことをしない町においては、町を訪れ、町の生業を支えてくれる客の存在がもっとも重要なものである。もっとも、その客の多くは西山や近郊農村の人びとであり、その人びとは自然と深くかかわる農業によって生活を営んでいるのであるから、自然の変化が間接的には町のリズムを規制しているということにもなる。だが、農業のように一年をサイクルとして、収穫すなわち収入は一度ないしは二度などというような生活は、町では成りたたない。できるだけしばしば町を訪れてくれ、平均して売り上げがあることが望ましいのである。
たしかに、盆暮れ勘定で掛け売りをすることも多い。それは養蚕による繭の売り上げや、麦の収穫、あるいは稲の収穫などかすんだところで入る農家の懐をあてにしてのことであった。農家に収入がある機会が限られているとしたら、代金はそのときに支払ってもらうほかには考えられない。しかし、商品を買ってもらわなければ代金を支払ってもらうこともできない。そのためには何とか町に足を運んでもらう必要があった。
年の初めの元旦は、どこの家でも店を閉めて新しい年の訪れを祝った。そして二日は初売りである。朝早くから売りに出されるにこにこ袋や福袋を求めて店先には多くの人が詰めかけたという。福袋にはふだんの倍ほどの価値のあるものを入れておくのがふつうであったという。正月の縁起物でもあったので大いにサービスをしたのである。また、この日に荷車などに山と積まれて運びこまれた初荷(はつに)の商品には、笹竹(ささだけ)につけた初荷と書かれた幟(のぼり)が立てられていた。笹竹の緑と幟の白、また祝いと書かれた赤い色があふれ、そして山と積まれた荷物が町を行きかう情景は、今年の商いの盛んであることを予想させるものであった。
こうした福袋のようなサービスは、もちろん村の人びとを町によび寄せるための手段の一つであった。年の初めは、その一年の商いを象徴するものであったから、特別に張り切った。そのような手段として景品をつけたり、値段を安くしたりする機会は折に触れて設けられた。しかし、何もないときにはなかなかサービスをすることもできにくいので、雛(ひな)祭りや端午(たんご)の節供、御祭礼、お盆、えびす講などの行事で町に出かけた機会や、贈り物を買うときなどに大いにサービスをした。それは店ごとにおこなうこともあったが、多くの店が協力したほうが客を集めやすかったので、町で期間を決めて大売り出しをした。
買い物に行く場所はそれぞれの地域によって異なり、松代地区や若穂・更北地区の一部では、町といえば松代の商店街を意味していた。そのため木町へ行く、中町へ行く、伊勢町へ行くなどということもあった。更北地区の稲里や青木島などでは旧長野の町に行くこともあったが、そのときには善光寺さんに行くなどといって松代の町と区別したという。篠ノ井地区や川中島地区の一部では篠ノ井駅前の商店街に買い物に行くことが多かった。そのためにこの地域で停車場へ行くというのは、汽車に乗るということばかりではなく、買い物に行くということでもあったという。長野市域の北部では、町へ行くというのは善光寺周辺の商店街へ行くことであった。そのため善光寺さんへ行ってくるというのは、町に買い物に行ってくるということでもあった。それは「ぜんこじ」「ぜんこ」「おどう」ともいわれた。手伝いに飽きてきたこどもが親に「ぜんこ」に連れていってやるからといわれ、元気をふるい起こしたのである。もちろん町の内部においてはそれぞれの、たとえば権堂に行くとか中央通りへ行くとかといったが、近郊農村の人びとには、善光寺が町を代表する存在であった。
大売り出しのときには、このような町を単位として町中を飾りつけたり、福引をしたりしてできるだけ客を引きつける工夫をした。宣伝もそれなりにしたので町を訪れる人も多かった。そのため売り出しの機会もふやすことになり、一月のえびす講、二月の節分、三月の卒業・雛祭り、四月の入学・入園、五月の節供、六月の田植え、七月の御祭礼、八月のお盆のお花市、九月の運動会、十月の秋祭り、十一月のえびす講、十二月の年取りなど、毎月のように大売り出しをすることもあった。
そうした大売り出しという特別な機会が、一年をとおしておこなわれることになると、町には常に特別の機会が存在しているということになる。にぎやかなときと、落ちついたとき、というリズムは町の生活においてはかならずしも望ましいことではないのである。人が満ちあふれ、華やかな時間が常に流れていなければ、町の生活は成りたたないということである。もちろんそれは町の生活においては日常の時間である。人通りがまばらになり、店に活気と華やかさがなくなったときこそ、町は異常なのである。このごろは、年中大売り出しが町の日常であるが、それでは代わり映えがしないということで、新たにさらなる人寄せの機会を生みだそうとする。御祭礼の活力の変化と、びんずる祭りの誕生はそうした意味で、新たなる時間の登場でもあった。