はじめに

395 ~ 396

 ヒトヨセとよばれるような多くの人が集まった折の食事は、だれがどのように支えてきたのだろうか。葬儀の食事についてみると、講(こう)や隣組などの集団が果たしてきた役割は大きい。では、それらの集団のなかで人は実際にどのように動いているか。

 長野市西部の山村では、オイヌシとよばれる親戚(しんせき)関係にある女性が中心となり、ウチワの女性たちとともに、葬儀の食事の準備をおこなう場合がある。喪家の主婦はオイヌシにすべてを任せ、台所仕事には手伝い程度にしか手を出さない。このように喪家の主婦が葬儀の食事の準備にあまりかかわらず、それにかわりオイヌシに相当するような女性が中心となりとりおこなうことは、長野県内でほかでもみうけられ珍しいことではない。

 これにたいして、長野市域の平坦(へいたん)部では、喪家の主婦が葬儀の食事の準備に積極的にかかわることが多い。その家の跡取りの夫婦が中心となって手伝いの人びとに指図し、全体を取りしきることが多い。どうしてこのような違いが生じてきたのか、その背景とはいかなるものであろうか。

 ここでは、ある山村のようすを中心にみながら、この山村のオイヌシを中心とした葬儀の食事のあり方を平坦部の主婦主導の葬儀の食事のあり方と対比するための布石を打つこととしたい。