オテンゾサンとオイヌシ

400 ~ 401

葬儀ではお斎の膳とトリマワシ(取り回し)とよばれる大皿料理を準備するのに大変だった。ここには以前、オテンゾサンとよばれる素人の料理人が一人だけいて、お斎の膳はこの人に料理してもらい謝礼を渡していた。この人は善光寺温泉で料理の手伝いをした経験があり、結婚式のときには膳以外に菓子なども作った。しかし、戦後、砂糖の入手もままならない時分には、きんとんや最中(もなか)など作っても、しっかりした餡(あん)を練ることもできず、満足がいくものを作ることはむずかしかったという。

 いっぽう、喪家に集まった客たちは、お膳にのった食べものにはほとんど手をつけず、汁気のあるもの以外は木を薄くすいて作ったツキダシに各自が包んで自宅へ持ち帰った。その場では、トリマワシをみんなで小皿にとり分けて食べた。この大皿料理はオテンゾサンが膳を用意するのと同時進行で、同じ台所を使いながらオイヌシを中心としたウチワの女性たちが作った。

 オテンゾサンは昭和二十年代まで活躍するが、その後しばらくのあいだ、オテンゾサンにかわってオイヌシが中心になり、トリマワシだけでなく、お膳のほうも作る時期がつづいた。しだいに膳の調理のほうは仕出し屋にとってかわられ、オテンゾサンは後継者もないまま姿を消す。膳を仕出し屋に頼むようになった時期は家によってかなりばらつきがあるが、昭和五十年代には大半が仕出し屋に注文するようになっていた。現在、膳はほとんど外注し、その場で箸(はし)をつけて食べることが多くなった。しかし、膳の料理を食べるようになっても、トリマワシはオテンゾサンがいたころと変わることなく、ウチワの女性たちによって調理され、

大皿は客のあいだをめぐっている。


写真2-21 トリマワシ(東之門町 平成10年)