持ち寄る

402 ~ 403

ウチワの人びとは葬儀でつぎのような役割を果たしている。だれそれが亡くなったという知らせがくると、そのウチワにあたる何軒かの家では夫婦で駆けつける。このとき、精白してある米をマルブクロとよばれる着物の端切れで作った布袋に入れ、受付のチョーツケ(帳付)に出した。この袋は冬の夜なべ仕事でよく作った。使い古したものは、収穫したささげなどを入れる保存袋として再利用した。昭和四十三年(一九六八)の葬儀のときはこの習慣はまだつづいていたが、現在はおこなわれていない。

 米の量はだいたい二升くらいで、亭主役やオイヌシをやるような家は少し多めになった。米をマルブクロに入れて持ち寄るのはウチワだけで、他の人がもってくることはほとんどない。受付ではこの米を用意しておいた桶(おけ)に次々と入れ、記録しておく。マルブクロにはだれの袋かわかるように名前を記したこよりをつけ、お返し用のまんじゅうやパンなどを入れ、帰るときに渡す。この米は供物(くもつ)としてではなく食用にあてられる。また、葬儀は突然のできごとであるため、多くの人が集まったときに出す飯が間に合わないといけないということで米をもち寄ったのだという。とくに車屋(水車小屋)で米を精白していたころは、手間と時間を要したことから米を用意することは切実な問題であった。


写真2-22 マルブクロ
(芋井広瀬 平成8年)

 このほかに、だしをとるのに「ウチにたくさんあるから、わたし、昆布と煮干しをもってくる」とか、きんぴらを作るのに「ごほうをもってくる」といったぐあいに、野菜など必要なものは自宅にある人がもち寄った。また、喪家の片付けや掃除も手伝った。