このあいだに亭主役は葬儀の段取りや、連絡しなければならない親戚(しんせき)のリストアップ、寺との打ち合わせのための準備などの仕事に忙殺されるが、それと並行して膳(ぜん)の献立を書きあげる。
昭和四十三年におこなわれた葬儀の献立は、記録によれば以下のとおりである。この家ではこれが自宅でお斎(とき)の膳を作る最後の機会となり、つぎの昭和五十五年の葬儀のときには仕出し屋に頼んだ。
① 飯
② 汁 油揚げと青み
③ 中漬け(煮物) こんにゃく・ささげ・人参・なす・角麩(かくふ)
④ お平 花形のらくがん菓子
⑤ 小皿 きんかん麩の酢の物
⑥ 皿 ひじきと突きこんにゃくの白あえ
⑦ 引物 哂(さらし)・砂糖・まんじゅう・茶
ここで亭主役が指示するのは、飯、汁、中漬けなどの大枠のみで、汁や中漬けの具を何にするか、お平や小皿、皿になにをのせるかについてはオイヌシに一任され、必要な食材はオイヌシが指定する。また、トリマワシについても亭主役は「何種類」と書いておくくらいで、その内容はオイヌシが決める。必要なものの買い出しは、今は遺族が自家用車で行くが、それ以前はムラヤクが西長野まで歩いていっていた。
亡くなった晩は特別な料理というものは出ないが、ウチワの女性たちがお供え用の団子作りに始まり、つまみの用意、夕食の準備までおこなう。夕食は御飯、味噌(みそ)汁、漬物以外に炒(いた)めものや煮物など二~三品を出すくらいである。このときはありあわせのものですませ、肉ジャガなど肉が多少入っていてもあまり気にしない。