その日のうちに七日法事(なのかほうじ)をおこない、七日法事の直会(なおらい)とゴクロウヨビを同時にすませてしまうこともある。昭和四十三年の葬儀の七日法事の献立の記録と比較してみると、飯、汁、中漬け、お平、小皿、皿、引き物という全体の構成に相違はないが、その内容に多少の違いが見受けられる。
「汁」には、島田麩(ふ)の入った吸い物がつく。島田麩は水で戻すと直径一〇センチメートルもある円型の、厚みのある麩で、これを薄い砂糖醤油で煮ふくめ、かんぴょうを巻き、一人まるごと一個入れる。また、「皿」はお斎の膳のときは、ひじきと突きこんにゃくの白和(しらあ)えであったのが、未調理の生のさんま二匹に変わっている。これはそれまでの精進料理から、生臭ものが解禁になった膳への移行を示すと考えられる。また、「お平」にはらくがんに代わりアンパンがのせられた。仕出し屋から膳を取る場合もあるが、取らずにお斎のトリマワシの残りものですませる場合もある。ウチワの数を二倍して身内の人数を加えるとだいたい二〇~三〇人分くらいである。しかし、お斎にも七日法事やゴクロウヨビにも、ともにトリマワシが出され、大半の人はこれに箸をつけることに違いはない。