ウチワの女性たちはどのような形で葬儀の食の管理に参加したのであろうか。昭和五十五年(一九八〇)におこなわれた葬儀の記録をもとに当時のようすをみたい。この時点ではお斎の膳は外注していたので、主にトリマワシの準備が中心であった。
オイヌシは本家の家長の母が受けもった。また、その補佐役は本家からこの家と同じように分家した家の家長の妻があたった。オチツキで出すそばをゆでる係は、同じマキの家二軒からと他姓の家一軒があたった。材料を洗ったり、切ったりする下働きには他姓の三軒があたった。
全体は役割ごとに分担し、流れ作業となることが多い。役割分担はあらかじめ決められているわけではないが、それぞれが「じゃあ、わたしはこれをやる」といった形で進み、自分で買ってでて仕事を引きうける。このさい、暗黙のうちに、年齢が一つの目安となり意識される。食材を洗ったり切ったりするいわゆる下働きは若い人たちが受けもち、オチツキで出すそばをゆでたり、揚げ物や煮物は中堅層の人が受けもつ。また、御飯を炊くのは比較的動きが少ないが、とくにかまどを使うときなどは熟練を要するので年長者に割り当てられることが多い。配膳は手のあいた下働きの女性が中心になっておこなう。ここであげた事例では、偶然、他姓のものが下働きを担当することになったが、基本的に年齢によって役割分担が決まることが多い。よごれた器はあとでみんなの手があいたときにいっしよに洗う。