農業形態の変化と町・里・山の役割

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以上は、『長野県町村誌』の記述からうかがえる、長野市域における町・里・山の様相の概観である。ここに示された様相は、町・里・山の、それぞれの場に属する村が、そうした村としての特徴を明確にもっていた時代の姿である。しかしながらその姿は、いうまでもなく、その後大きな変化をみせて現在にいたっている。なかでも最大の変化をみせたのは高度経済成長期であった。それまで一家の大黒柱として主として農業にかかわってきた家の主人が、役所勤めや会社勤めなどといった形で町場に通いはじめ、そのかたわら家に残されたジイチャン・バアチャン・カアチャンのいわゆる三チャンによって、農業が支えられるという姿が一般的となった。

 このような変化が里において顕著にみられるようになってきたのは、おおむね昭和四十年(一九六五)前後からのことであった。言い方を変えれば、昭和四十年前後のころまでは、里においては、農業に重点が置かれていたという意味で、土地に根ざした暮らしがおこなわれていたといえるのである。

 しかし、近年では、そのような三チャン農業でさえも少なくなってきている。そして町に近い里では、農地をつぶし、そこにアパートを建てて、その経営にあたることを主とするような農家も増えてきている。交通機関の発達、とりわけ大人一人に一台の割合といわれるマイカーの普及によって、長野市域の人びとの日常生活における行動範囲は格段に広くなった。その結果、以前は町が果たしていた商品の供給地としての役割も、町近郊の地、つまりかつての農業地である里に建てられた、駐車場をともなうホームセンターなどとよばれる大型商店に取ってかわられつつある。

 こうして現在では、かつて町・里・山というそれぞれの場がになっていた役割は、いずれも明確なものではなくなってきており、互いに混在化してきているのである。